ヤチヨ「大昔でも超未来でもなくて、今とあんまり変わらない、少しだけ未来の世界。ゲームしている普通の女子高生ありけり」
■この記事について――はじめに
Netflixで独占配信中の映画『超かぐや姫!』を見た。以下感想とか作品考察とか。

制作は『ペンギン・ハイウェイ』『泣き猫』などを手がけたスタジオ・コロリドと、本作がスタジオ初作品となる気鋭の会社、スタジオ・クロマト。監督はクロマトを立ち上げた代表兼アニメーター・山下清悟氏。公開日のツイートを見たときはオイオイオイと不安になったものの、実際観てみたらこう呟きたくなるのもちょっと納得の快作だった。
おとぎ話、メタバース、配信、ボカロ、eスポーツ、SF、同棲百合etc。映像面でもライブにバトルに静の芝居にと見どころ満載。流行・鉄板・スタッフの趣味を全部乗せしたような盛りっぷりで、こう並べると胸焼けしそうだけど意外とスッと入ってくる。重くない。
本作の主軸は主役ふたりのガール・ミーツ・ガールに絞られている。
上記の要素は少女たちのジュブナイルを彩る華として、そしてテーマをより深く掘り下げるためのギミックとして組みこまれている。ふんだんにデコられた企画の中心には芯の通った物語がある。バラエティに富んだ多数の魅力が不思議と調和する所以である。
それにしてもラスト30分の突き抜けた展開には驚かされた。深夜アニメが最終クールで大暴れするときに似た喜びがあった。『永久のユウグレ』とか。『Turkey!』とか。どっちかティン! ときた人は『超かぐや姫!』も観ましょう。かっとんだオリジナルアニメ、サイコー!!
そんな華やかで楽しい物語の主題に据えられているもの。
少女の成長、関係の変化、ネットとリアル、予定調和へのレジスタンス。ぱっと見でも光るものが無数に見出せる2時間20分の中で、私は「現代という時代の肯定」もそのひとつなのかな、と思った。
この記事では本作の主人公・彩葉が抱いてきた願いごととその叶え方を順に追うことで、作品が示した現代から未来へと続く希望について触れていきたい。一番おいしい部分は母娘関係が織りなすドラマ(百合)とアニメーションだと思うけど、物語の前向きさとメッセージ性(『ray』)にやられたところも大きいので……。
- ■この記事について――はじめに
- ■お金について――先立つものがないと始まらない
- ■言葉について――譲れない気持ちを相手に伝える
- ■時代について――願いが叶う未来を手繰り寄せる
- ■満たされなさについて――おわりに
※「お金について」「言葉について」は結論のための整理パートです。要点だけ読みたい人は「時代について」までジャンプしてください。
■お金について――先立つものがないと始まらない
物語は彩葉が赤ん坊のかぐやを拾うところから始まる。
この時点でふたりはそれぞれの願いを半端に実現している。彩葉は人生を完璧にこなして不仲な母親に認めてもらうこと、かぐやは刺激が少ない月での退屈な暮らしから抜け出すこと。ふたりの当座の目標は今を生き抜くことで一応は叶う。たぶん。そのうち。
問題はこの状況が、両者の努力抜きには長続きしない点にある。
ヤチヨ「彩葉は超ムリ限界なのでした」
彩葉「願いごと……か、金……」
特に序盤は彩葉の生活の困窮が容赦なく描かれる。
買ってきた赤ちゃん用品は無駄になる。稼いだバイト代は使いこまれる。一食あたりの単価に気を揉むし、余暇は学業とバイトで忙殺される。彩葉の限界暮らしはかぐやの登場でいよいよ危機を迎える。
ピンチな彩葉とは対照的にかぐやは野放図に願いを叶える。カフェへ乱入してパンケーキにぱくつき、勝手に高価なスマコンを購入する。ウォレットでふたり分の夕食のメニューを揃えるくだりは象徴的。自分以外の大切な誰かを幸せにするにもお金が要るという。
本作は(特に身体的な)願いを叶えるためにお金を稼ぐことの重要性を繰り返し描いている。また、その延長線上にある投げ銭を含めた収益化の文化も否定しない。現代で暮らしを立てるいち手段、生業としてフラットに扱っている。ツクヨミとふじゅ~を経由することでクリーンに脱臭してもいるけれど。
彩葉がかぐやに費やしたお金はすぐに配信収入で戻ってくる。
差し引きゼロにとどまらず、ふたりの暮らしはどんどん良くなっていく。
物が増え、部屋が広くなるさまはストーリーの快楽を高めるだけではなく、生活に質感をもたらし、ふたりが過ごした時間の強度を上げている。食事や配信活動、VRゲームといった感覚的な喜びを、躍動感のある映像を通して視聴者と共有できているのもグッド。
『竹取物語』で翁が裕福になる流れになぞらえた(作中的にはニワトリタマゴ*1だけど)幸福な半モラトリアムは、やはり原典のように月人という社会の要請で幕をおろす。かぐやが今まで使いこんだお金がウォレットで返金されるシーンは鮮烈だった。成長の証が断絶となる。見ている私たちも突き放された気持ちになる。
本作ではまず、お金だけでは叶えられない願いの存在が示される。
■言葉について――譲れない気持ちを相手に伝える
時系列は少し前後して、かぐやが月に帰る前の台詞から振り返る。
かぐや「でも、みんな抑えてもいるんだよね。自分の気持ち。もっと大事なもののために」
多忙な日々にかぐやのライバー活動のプロデュースまで加わり、とうとう過労で倒れてしまう彩葉。かぐやは娘に甘い母親役=ちょろはとして接してくれた彼女の姿と対話を通して、社会の複雑さを知り、わがままな願いが(月人を含む)誰かに迷惑をかける可能性を実感する。
周囲を慮って身を引く。過去の思い出で今を満足する。社会一般では美徳とされる利他・自己犠牲の精神は、みんなでハッピーエンドを目指すという観点では必ずしも正解ではない。
だってかぐやはもう彩葉と歌えない。
そして彩葉は広い家でひとりぼっちだ。幼い頃のように。
彩葉「やったら私ひとりやん。なんで?」
誰かと誰かの、相反するふたつの願いがぶつかってしまったとき。
本作では望みを口にし、行動し、譲らなかった人間の願いが最後には叶っている。
ヤチヨカップを制したかぐやは言わずもがな。彩葉から劇の主役を譲ってもらったみっちゃんもそうだし、家を出て上京した彩葉の兄もそう。一方で彩葉への想いをひた隠しにした芦花は………………………。
逆に「家に居てほしい」と兄に伝えられなかった彩葉は置いてけぼりにされている。かぐやとの別れは、幼い日の兄との別れの反復でもある。
自分の気持ちを抑えて様々なものを手放してきた彩葉は、今度こそ譲れないもの――かぐやと一緒にいたいという願いのために、偽のハッピーエンドを却下しようと試みる。
願いを叶えるための行動は月人との対決と母への電話、そして月へのコール、つまりは周囲に気持ちを伝えることだ。これまで彼女が避けてきた衝突、背を向けた他者との交渉ともいえる。
アルバイトという日常においてもこの変化は静かに描かれている。頼まれるがままヘルプを引き受けた過去、仮病で休んで作曲する今。
かぐや「そっか、そっか! みんな自由だ!」
彩葉たちが月人と対峙したとき、嬉し涙と共にかぐやが叫ぶ言葉。
いま、各々が好きに運命に抗っていい世界に生きていること。この台詞も本作の核心のひとつだと思う。詳しくは次項で。
かぐやは願いを抑えられるように、彩葉は願いを出せるようになる。
ふたりの成長は裏表であり、どちらも(月人を含むみんなの)ハッピーエンドに不可欠の要素となる。美しい構成! さっきからいちいち(月人含む)と書いてるのは社会との折り合いも大事だと思うから。
ここで後任に引き継ぎを完了したかぐやが地球に帰ってくればそれで物語はハッピーエンド……なのだけど、本作は残り20分の尺からさらにひねりを入れてくる。
お金でも気持ちを伝えることでも今はまだ解決できない課題、過去ー現代という時代の制約にまでテーマの射程を広げていく。
はい、ここからが記事の本題です。前置き長いね。
■時代について――願いが叶う未来を手繰り寄せる
彩葉「私といたかぐやは?」
ヤチヨ「今もまた同じ輪廻を巡ってる。私たちはその輪から外れることはできない」
宇宙船の事故で肉体を失い、8000年前の地球に落ちたかぐや。
彼女が仮想空間ツクヨミを作ったヤチヨその人である以上、事故で8000年前に行くかぐやの運命に干渉することはできない。
タイムパラドックスによる運命の固定。こう書くとどうにもならない気がするし、ヤチヨとして彩葉と再会できただけでもハッピーエンドという見方もある。
実際ふたりは、一度はこの再会で満足しようとする。
彩葉が8000年を追体験し、おばあちゃんになったかぐやと同じ目線に立つことで。
ここが2030年までのお話『かぐや姫』の限界と言ってもいい。
ヤチヨ「また彩葉と一緒にパンケーキ、食べたいなあ」
ヤチヨの口から伝わった(!)未練。そうして彩葉が抱いた願い。
タイムパラドックスのほうはヤバイが、こちらについてはなんのことはない。言ってしまえばこれは現代の科学が追いついてないだけの話で。なら回答も未来の技術を先取りするというシンプルなものとなる。
本作が提示する最後の願いの叶え方は、今を未来に更新することだ。
かぐやが巡る8000年の円環のエンド(『かぐや姫』のオチ)を変えられないのなら、2030年より先の未来でより良いエンド(『超!』のオチ)に至ればいいという話でもある。
これを実現するための要素は個人の才能や努力だけではない。家族や友人の助力はもちろん、土台である社会もまた、彩葉の背を支えている。
8000年の追体験の中で彩葉が見た過去の人々*2。
彼ら彼女らの多くは自分の生き方を選べなかった人である。生まれ持った血、身分、性別、環境、貧困、歴史の流れ。個々人の想いはさて置き、選択肢の少ない時代に生まれたのは事実だろう。
しかし今は違う。彩葉は運命に抗ってもいい、欲張ってもいい時代に生きている。
自分の力でお金を稼げる、言いたいことを言ってもいい世界。イエを離れ、パートナーを選べ、好きに進路を決めていい世界に。
その自由の上で、彩葉はかぐやの器となる、五感を再現できる義体作りを目指す。
周囲に夢を伝え、資金繰りに奔走し、10年の歳月を費やし、現代では届かないはずのオーバーテクノロジーに手を伸ばす。
時計の針を早回しするかのように、未来を
『超かぐや姫!』をハッピーエンドに導く決め手がサイバー技術であるように。
本作は現代という時代と、そこから生まれた文化や技術を力強く肯定している。
特にインターネットをここまでポジティブに描いた作品は珍しい。掲示板、SNS、オンラインゲーム、Vライバーetc。かつては負の側面ばかりを槍玉に挙げられていたこれらネットカルチャーを、露悪に走らず、過度な殺菌もせず(ヤチヨはレスポンチバトルやめな!)、ただそこにある豊かさとして描いてみせた。
電脳世界に癒されたヤチヨ。
ヤチヨを推して生き延びた彩葉。
ネットと現実をリンクさせる次世代の技術で蘇ったかぐや。
私たちにとってもごく身近でたまに腹の立つ文明の利器は、誰かを救う命綱になるし、その先にも広大な可能性が広がっているのだと。
スマコンも五感を得られるメタバースも現実には遠い未来のガジェットだろう。しかし本作が描いているのは空想じみた未来予測ではなく、すでに私たちの傍にあるモノが、世界を優しく変えるという確かな予感である。
余談だけど、かぐやが月で仕事を引き継がせた相手もよく見るとゼンマイを巻いたかぐやロボ=技術の賜物だったりする。やっぱイヤな労働はロボにアウトソースするべきだよな! 技術革新バンザイ!
■満たされなさについて――おわりに
ヤチヨ「私なんか恵まれてるって思っちゃったら逃げ場がないよね」
最序盤で挿しこまれる、彩葉の朝の支度の裏で流れる台詞。
彩葉の現況と切迫感を暗に示すこの演出は、よく聞くとヤチヨの声によるものである。彩葉への私信のようで、ヤチヨ自身の心境もにじんだ一言。
電脳世界で他人と関わりを持てるようになったヤチヨは、孤独に膝を抱えていた頃に比べれば確実に恵まれている。
しかし、本人としてはやはり恵まれなさ――満たされなさを感じてもいる。
だからこそ終盤には、彩葉とまた一緒に歌う願いを叶えた後にさえ、パンケーキを食べたかったというささやかな未練をこぼす。
本作はふたりが家を飛び出すことから始まった物語である。
彩葉もかぐやも経済的には裕福な部類に入るだろう。けれどそれで満たされているならば環境を変える気など起きないわけで。
今に満足できない・しないこと。あらゆる行動力の源はここにある。
彩葉「五体満足に産んでもらって悩んでたら贅沢ってもんよ」
かぐや「これが私のエンディング! 超楽しく、運命に向かって走ってく!」
芦花・真実「私たちはさ、彩葉が生きてればいいから」
CIA「極上のワインは時間が経つほど味が深まる。悪いことばかりじゃないさ」
彩葉「かぐやがいなくたって充分ハッピーエンド」
これ以上は望めないと、充分だと、自他が幾度もささやきかける。
そんなソフトランディングの引力を彩葉はすべて振り払っていく。
過去の思い出を胸に今を生きるノーマルなエンディングではなく。
変わってしまった今を受け容れるメリーバッドなエンディングでもなく。
どこまでも貪欲に、満足せず、今を変えるハッピーエンドに辿り着く物語。
本当に幸せになるまで足を止めず、偽りのジンテーゼを破っていく構造には、人の願いが持つエネルギーの大きさを感じずにはいられない。
それを許容する現代ー未来という時代の、何かを願うことへの大らかさも。
「それって結局昔に比べて今はマシになったってだけの話では」?
少し違う。今が昔よりマシになったのは、いつの時代もより良い「いま」を願った人がいるからだ。ツクヨミを作ったかつてのヤチヨが、義体を作った2040年の彩葉が、あるいはゼンマイロボを作った20XX年のかぐやがそうだったように。
現代が良いばかりの時代ではないことを私たちは知っている。
ラストでかぐやが問いかけるように、先の見えない世界に生きている。
けど、本作はひたすらまっすぐに明るい希望を謳いあげてみせた。現代の日々を彩るカルチャーにめいっぱいのリスペクトをこめて。
豊かな日常、最新の娯楽、やりたいことを叶えられる自由。「いま」はこんなにも楽しいんだよ、これからもっと楽しくできるんだよ、と。「いま」に至るまでの歴史の傷跡をも、たしかに引き受けながら*3。
まばゆいばかりの現代賛歌だ。未来を信じ直す試みでもある。重たい現実がのしかかる今だからこそ光り輝くメッセージ。
また、個人的にはいわゆる「持てる者」のお話にとどまらず、義体作りとツクヨミでの五感の確立という福祉にまでリーチしたのも高ポイントだったり。元々のツクヨミ自体が貧乏人に優しい*4設計なわけで、そんな中でリアル並みの値段(現物の配達)が必要だった味や匂いのハードルを下げる意味は大きい。反発も大きそうだけど、そこは作中のように社会と折り合いをつけていくのだろう。
個人の願いが世の中を良くする。その繰り返しが未来を作っていく。
かぐや「このお話、ハッピーエンドだと思う? このあとすぐケンカ別れしたりして~。まだまだわかんないよね。あなたの物語もそうでしょう?」
本作は最後、味覚の実装には至らない段階で話を切り上げる。
完璧なハッピーエンドを希求しながらもその手前で筆を置き、これから「いま」が良くなる、あるいは悪くなる余地を残し、視聴者に委ねる。
この問いを手渡された私たちが「いや、ハッピーエンドになる(する)よ」と答えたとき、『超かぐや姫!』という作品は完成するのだと思う。
そこには受け手に対する信頼と、幸せに手を伸ばす意志へのエールがある。
エネルギッシュな映画だった。心が上を向く映画だった。はじめに挙げた要素の「欲張り」っぷりすらもテーマを体現したかのよう。
評判が評判を呼ぶ形でまたたく間に広まっているけれど、まだまだ多くの人に見られて欲しい。そう思える作品だった。出会わせてくれた制作陣と関係者の方々への感謝がある。
配信というプラットフォームは作品の題材とマッチしてるけど、叶うのなら劇場の大スクリーンで観たい気持ちも大きい。ネトフリ入るのは気が引けるけど映画館なら……って人もいるだろうし(オイ)。この記事ではほぼ触れなかったけど、映像面の魅力もとんでもないしね。
最後に、以下の監督のインタビューより一節を引用して終わりとする。
本作を表すうえで非常にクリティカルな一文だと思う。
かぐや、彩葉、ヤチヨ、それぞれ明るい部分を持ちますが、そのどれもがあっけらかんとしたものとは限りません。でもそれは「嘘」ではなくて、そうふるまう覚悟をした「やさしさ」だと思います。エンディングテーマの「ray 超かぐや姫!version」(※かぐやとヤチヨのカバー、原曲はBUMP OF CHICKEN)の歌詞にも「楽しい方がずっといいよ ごまかして笑っていくよ」とありますが、これが本当にこの作品の全てです。
依然として世界は暗い、だからこそ明るいものを描くことに意義があると思っています。
願わくば、
ついそんなことを思ってしまう、大変素晴らしい映画なのでした。
*1:かぐやが月に帰るまでの出来事をタイムトラベル後のFUSHIが語ることで『竹取物語』が生まれたという解釈。別れで終わる2030年までの物語なので納得感がある。
*2:字幕では神功皇后・権中納言敦忠・淀殿・吉原の花魁・明治時代の文豪・花売りの少女・CIAの男性となっている。屋外に布団を敷いた文豪はサナトリウム療法中の結核患者? CIAは毛色が違うけど彼には他に役割があるので……🍷
*3:上に挙げた過去の人々の他、公開後にYoutubeにアップされた『ray』公式MVのワンシーンがある。また、小説版ではより直接的な言及がなされている
*4:「私みたいな貧乏人でもここでならいくらでも遊べる」by彩葉。なおVRを楽しむにはスマコンという初期投資が要る模様。


























