私は私のまま大人になる ~Re:ステージ!ドリームデイズ♪第9話『向こうの親御さんには私から連絡しておくわ』読解~

f:id:n_method:20190908100133j:plain毎日アニメを観ていると1クールに何本か「これは」と思える回と出会う。
そうしたとき、これまで点と点で認識していた数多の描写が星座のようにつながり様々な像を結んでいく瞬間がある。これは大変な僥倖で、この経験を得た後に改めて過去の話数を反芻すると初視聴時とはまるで見え方が違ってきて驚いたりもする。
本記事では久しぶりにそのような感覚を味わえたアニメ『Re:ステージ! ドリームデイズ♪』第9話について現時点で感じたこと、思ったこと、考えたことを時系列順に書き記した。例によって半ば文字起こしになってしまった部分が多いが、本エピソードを楽しむ上での一助となれば何よりの幸いである。

第9話『向こうの親御さんには私から連絡しておくわ』のあらすじを端的に表現するならば、本作のもうひとりの主人公と呼べる少女・月坂紗由(以下紗由さん)が一旦子どもに立ち返り、大人のフリをやめて、少し大人になるお話である。
先に言うと、今年観たアニメの中でも間違いなく五指に入るエピソードだった。

・幼さという個性の肯定

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「あら? 舞菜ちゃん、最近ちょっとお胸が発育したんちゃう?」

アバン。
更衣室。深夜アニメ名物のサービスシーンと呼んで相違ないアレ。
次回予告の時点で話題騒然だったサブタイも相まって、すわベッドシーンへの前振りか! と色めきだったヲタクは多いだろう。かくいう私もそのひとりである。
何しろ女子中学生の発育の話である。条件反射で歓喜する。しかし冷静に見返すと本エピソードの初手としてとても大事なシーンだと理性で理解できる。後述。
(第1話で舞菜が部長と出会うシーンで既に「胸はちょっと小さめで……」とこの台詞の前振りをしていたりする。実に仕事が丁寧。)

Aパート。
夜、母親と喧嘩して自宅を飛び出した紗由さんは歌詞作りの際に知った舞菜の家を訪れ、一晩泊めてくれるように頼む。舞菜と叔母は快諾し、紗由さんはなし崩しで舞菜と共にお風呂へ。

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「誰かとお風呂に入るなんて久しぶりだよ」
「うん、私も」
「紗由さんってスタイルいいよね。えいっ」

お風呂シーン。深夜アニメ名物のサービスシーンと呼んで相違ないアレ。
舞菜は13、紗由さんは12才。言うまでもなくまだまだ子どもで、けれどいつまでも子どものままではいられない。そしてスタイルの良い紗由さんは発育途中の舞菜より一足先に大人の階段を登っている。
肉体の成長は「大人になるよう否応なく背を押してくる時の流れ」そのものである。これはAパ―トのキーポイントのひとつ。ところで紗由さんのほうが年下なのよくない?

「これ、アヒルさん? 紗由さんの?」
「うう……私、それがないとお風呂に入れなくて……」
「えぇっ」
「こ、子供みたいよね。中学生にもなって」
「え、全然? 可愛いよ紗由さん! 私も一緒に遊んでいい?」

OPでおなじみ玩具のアヒルがついに本編に登場する。
ところで、ここで第3話でのある会話を思い返しておきたい。

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「好きなことになると早口になるのね、かえって」
「あっ……胸が熱くなると、そのクセが出てしまう」
「別に? いいと思うわよ。可愛い!」

ボイスノイド・ここぱんなについての説明シーンの後、何気なく挿入された会話。かえのヲタク特有の早口を可愛いと肯定する紗由さんと、浴場にアヒルを持ち込む紗由さんを肯定する舞菜は台詞の言い回しまできれいに重なっている。
3話の当該シーンでは紗由さんのすぐ隣に座っていた舞菜である。知らず知らずのうちに影響されたのかもしれない。
私にはこの反復は、アヒルがないとお風呂に入れない紗由さんの幼さを改めるべき未熟さではなく可愛らしい「個性」としてかえの早口と同列に描くためのものに映った。

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「実は、うちの親、私がアイドルを目指してることを反対してて」

「去年までは応援してくれてたんだけど、中学に入ったらやめなさいって言われてね。いつまでも夢ばっかり見てるなって。だから、本校の受験も許してもらえなくて」

中学進学時、本校の受験を許されなかった過去を語る紗由さん。
この時アヒルが紗由さんの身体からすーっと離れていくのが印象的。アヒルは紗由さんの幼さの象徴であり、また彼女の個性でもある。
紗由さんは「いつまでも夢を見ているのは子ども、諦めるのが大人」という、母親のかざす論理に囚われている。

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紗由さんの長い告白の後、舞菜は彼女から離れたアヒルに手を伸ばす。

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「気にしないで、紗由さん。私のこと頼ってくれてとっても嬉しい。それにこうやって、紗由さんと一緒にお風呂にも入れて、アヒルさんとも遊べたし!」
「うわぁもう! また!」
「あはは、あははは! だって楽しいんだもん!」
「今度は私の番よ! 舞菜、覚悟ー!」

家出も、他人と共に入るお風呂も、アヒルの玩具で遊ぶのも、言ってしまえばいかにも幼い行為である。
しかし舞菜は紗由さんの幼さを否定しない。むしろ彼女が初めて見せてくれた幼い顔のすべてを楽しい、可愛いと積極的に受け容れて、紗由さんと同じように年齢よりやや幼い子どもとして振舞う。
絶賛発育中、紗由さんと同様に自らも大人の肉体に変わりつつある舞菜がアヒルで遊ぶのである。言葉などよりはるかに雄弁な、紗由さんの幼さの全肯定だろう。
舞菜の姿に引っ張られるように紗由さんは自身のアヒルを取り戻す。
舞菜の眼前で、アヒルで遊ぶ自分のことを肯定して見せる。

……感情のままに突撃する紗由さんだからこそ、受け止めた舞菜とふたりで楽しい時間を過ごせる。
思えば舞菜と紗由さんは出会いの日からずっとそんな感じである。関係性の縮図。

・未来に架ける「ずっと一緒」の夢

お風呂から時間は飛んで時刻は深夜。
衣装直しからの……同衾! 深夜アニメ名物のサービスシーンの中でも最上位に君臨するアレ。
紗由さんの孤独、互いが互いを引っ張り上げる関係についてひとしきり喋り、笑いあった後。

「私、紗由さんとずっとずっと一緒にいたい。離れたくない」
「私もだよ、舞菜。でも、それってどれくらいまで?」

「ずっととはどれくらいまでか?」とは。書き起こしてみても奇妙な文面である。
ここで再び過去の話数での紗由さんの動向に目を向けたい。第2話と第7話。

「うん、絶対だよ。プリズムステージまで、ずっと一緒に」

「舞菜がつらいとき、私、ずっと傍にいる。ぎゅっと手を握ってる。だから一緒に行こう? 私は舞菜と一緒に夢が見たい」

実は「ずっと一緒」と先に言い出したのは舞菜ではなく紗由さんの方だ。
そして先述した母親の論理と上記の台詞を統合すると、紗由さんの「ずっと」は実は有限の時間、子どもで/夢を見ていられる間を指していると思われる。
進学時、親の唐突な翻心によって一度夢が潰えた彼女にとって、未来とは突然途絶える可能性を当然に孕む代物なのだろう。道先には保証など何もない。多くの子どもは大人になるまで夢を保てない。そんな苛酷な現実の一側面を(……あるいはこうして齢を重ねた我々と同様……)、彼女は明確な実感を帯びて理解している。

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「え? ずっとはずっとだよ?」
「プリズムステージが終わるまで?」
「ううん。もっともっと、ずーっとだよ。これくらい、ずっとだよ」
「何それ。よくわかんないよ」
「いいよ。わかってくれるまで離れないもん」

対して、舞菜は遠い将来にかけて紗由さんと一緒にいることを信じている。
ずっと一緒にい続けることを、大人になっても諦めたりはしない、と。
(舞菜の言う「ずっと」は語義通り、大人になってからの時間を含むため)
今の紗由さんにはまだ舞菜の言っていることの意味がわからない。彼女にとってそれは腕を伸ばしても易々とは届かない、ともすればアイドルよりも遠く想像し難い「夢」なのかもしれない。

私は初見時、どこか冷めている紗由さんの言動に妙な大人っぽさを、逆に無邪気に「ずっとはずっと」と言える舞菜に子どもっぽさを感じたりしていた。
このステロタイプな印象論が覆るのが本エピソードの肝である。

※余談だが、先に挙げた3話と7話、そしてこの9話の3エピソードは同一の脚本家(冨田頼子さん)が脚本を担当している。

・循環する勇気と大人の話

Bパート。
学校に乗り込んできた紗由さんの母親(以下紗由ママ)にミニライブを見せて熱意をわかってもらおうとする展開。家庭の問題だ! と取りつく島もない紗由ママに(結果的に)一宿一飯の恩義で切り込む舞菜。話運びが巧い。いえ、そんなのはいいんです。

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みぃ!みぃ!みぃ!みぃ!
4話時点ではみい先輩への脅し文句として機能していた「生徒会副会長が語尾みいキャラでアイドルやってる事実」が生徒会を含めた生徒らに受け容れられ、どころか応援されているさまが克明に描かれる。香澄とサバゲ部も同様である。
ものすごいトンチキな画ヅラなためやはり初見で思考が回らなかったが、このふたつのライブでもアヒルや早口と同じく個性の肯定がなされている。
みい先輩はみい先輩のまま、サウザンドキルエンジェルはサウザンドキルエンジェルのままアイドルという夢に邁進し、その姿が観衆に認められて心を掴んでいるのだ。イェーイ!

4人のライブが終わり、舞菜と紗由さんの順番が回ってきたとき紗由さんはこのようにこぼす。

「今さら私たちのステージを見ただけで、お母さんが考えを変えてくれると思えなくて」
「ボクのことは、あんなに必死に説得したのにね」
「あっ」

この香澄の応答からの流れが本当に鮮やかで感服してしまう。
香澄は知っている。紗由さんの胸に宿る、諦めの心を溶かす情熱を。

「言っておくけど、みいは全っ然心配してないみぃ!」
「せやで。紗由ちゃんはこんなことではへこたれん強い子やって、うちら知ってるし」

部長は、みい先輩は知っている。
入学後、紗由さんが一緒に踊る仲間なしに挫けず頑張ってきた過去を。

「絶対説得してきて」

かえは知っている。
自分でも夢を見られることを教えてくれた、一緒にやろうと告げてくれた姿を。

先に挙げた第3話での紗由さんからかえへの早口の肯定が、お風呂シーンでの舞菜から紗由さんへのアヒルの肯定として巡り巡ってきたように。
ここに至るまでの紗由さんの奮闘が、周囲の人間に勇気を与えてきたアイドルらしい軌跡の数々が、今度は紗由さんの力となるべく彼女のもとに帰ってくる。
紗由さんの諦観を溶かすのは外部のエネルギーではない。
謡舞踊部の目に映っていた、明るくて頑張り屋で猪突猛進な、そして誰よりも諦めが悪い紗由さん自身の姿――個性である。

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「昨日言ったよね。私たち、ずっと一緒だよって。紗由さんとこれからもずっと一緒にやっていきたいって。だから、見せよう! 私たちの夢を!」
「夢……」
「私がついてる」

そして舞菜は未来の話をする。
「ずっと」という夢、「アイドル」という夢を叶えよう。
そう紗由さんに力強く告げる。かつて紗由さんが自分に何度も「ずっと一緒」と言ってくれたように。

舞菜と一緒ならきっと母にも届く。信じた紗由さんにもう迷いはない。

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「理想と現実は違う」なんてね 大人のフリもしてみたけれど
大人になるってこと それは何かを諦めることじゃない きっと…

Story is Bright
強さも弱さも 混ぜて私なんだ
何度だって[ユメを見よう]
追いかけては[追いかけられ]
ほら逃げずに[誤魔化さずに]
心のCenterを進もう

このシーンのために制作された挿入歌『ステレオライフ』の歌詞より。

大人になるとはどういうことだろう?
それは肉体の成長に伴って個性や夢を捨てることではない。
それはたぶん、今の自分と向き合うことだ。強さも弱さも認めた上で、不確定な未来へと一歩を踏み出すこと。そうするための勇気を持つことだ。
だから背が伸びても胸が膨らんでも、幼さやヘンテコさを抱えたまま生きていいし。
きっと、ずっと、叶うかどうかわからない夢を見続けてもいいのだ。

(舞菜が私を支えてくれるの。舞菜が私を引き上げてくれるの。私を連れて行ってくれるの。前よりもっと輝いている場所へ。だから私、舞菜と一緒に……これからも夢を追い続けたい!)

その道行きがお互いにどこまでも高めあえる、不足を埋めあえる、勇気を与えあえる友達と一緒ならば。人生においてこれほど心強く、幸福なこともないだろう。

紗由ママにとっての夫も、もしかしたらそういう存在なのかもしれない、とも。

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最高のパフォーマンスを見せた紗由さんを認めて部活動を許可する紗由ママ。久しぶりに見た娘の笑顔が効いたという筆致が優しくて好き。
「勉強もしっかりやるのよ」という大人の目線の一言もいい。紗由さんの方にも親を心配させるだけの不足、向き合わねばならない弱さがある。この内実をOPの映像という最小限の時間・手間で見せてるから話が早いしストレスも低い。
また「夢ばかり見てないで」と窘められないよう頑張ってほしい。両立大事!

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「見てて、お母さん、お父さん! 私、絶対優勝してみせるからー!」
「まったく…」

子どもらしさ全開の紗由さんと勉強の話頭に残ってる? みたいな両親の呆れ笑いで〆。
本エピソードにおいて肉体面のみならず精神面でも大人の階段を昇り始めた紗由さんだが、そもそも彼女はまだ中学一年生であることも忘れてはならない。
ラストに今一度等身大の紗由さんを感じさせるカットを映し出すのは、成長することは素晴らしいけどそう生き急がなくてもいい、と作品が言ってくれているようでやっぱり優しい。……うんこのあたりはさすがに自分で書いてておれの願望が過ぎる気がしてきた……。

・おわりに

以上が本作2周目(第9話まで)時点での覚書である。
モチーフの扱い方や話数を跨いだ反復の精緻さもさながら、お約束のサービスシーンや本作らしいトンチキな表現のすべてがパズルのピースのように不可欠な要素として散りばめられた傑作エピソードだった。過去の回も含めてどのシーンを抜いても話が成立しない非常に貪欲な構成である。
色々取りこぼしや誤読もあると思うので機会を見つけて最初からもう1周したい。アニメ視聴ってパズルでもあるよね。もちろんリズムも大切だけど。

この2ヶ月、いっぱいの笑いと涙をくれたこのアニメも総集編を除いて残り3話。
膨れあがる期待と緊張の狭間で揺れながら見守っていきたい。