信じる勇気をダンスに変えて ~映画『ポッピンQ』感想~

東映アニメーション創立60周年記念映画『ポッピンQ』を観た。
傑作だった。快作だった。2016年マイベスト映画だった。そして困ったことに怪作でもある。
マスにヒットする娯楽作品の形と要素単位では重なるものの、できた作品はわりとズレている。人の共感を呼び、説得力を生み出す箇所にぽっかりと空洞が存在するのだ。
しかし、だからこそ凄まじいパワーを内包するに至った代物であった。少なくとも私にとっては。 そしてきっと、まだ観ぬ誰かにとっても。

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何かを探して彷徨うような薄暗いキービジュアルが印象的。

神様!tell me tell me tell me 教えて
未来は僕らに光をくれるの?
神様!tell me tell me tell me 答えて
僕らの瞳は 明日を ねぇ?みつめてるの?

冒頭で描かれるメイン5人の悩み、CMでもおなじみ伊純の言葉にならない鮮烈な「あーーーーーー!!!」、そこから卒業式の朝を迎えて雪崩れ込む青春全開のオープニング『ティーンエイジ・ブルース』。これにてガッチリ心を掴まれた青春おじさんこと私である。
ここで私は当然のごとく以前このブログでも取り挙げた、今なお心に深く突き刺さっている2015年の大傑作『放課後のプレアデス』や2016年の怪傑作『アンジュ・ヴィエルジュ』のような、少女たち個々人の心の機微を鮮やかな筆致で描き出し、その解決を美しく与えることで大きなカタルシスをもたらしてくれるキモチのいい作品を期待した。そりゃもう期待しまくった。
そんな身勝手な期待は裏切られたり叶ったりした。
そして『ポッピンQ』は私にとってこの2作品と同じくらい大切な作品となった。

『ポッピンQ』は個々を掘り下げない。
『ポッピンQ』は最後まで解決しない。
『ポッピンQ』のダンスは祈りである。


・『ポッピンQ』は個々を掘り下げない。

レミィがさらわれた事件をきっかけに、伊純が蒼たちに対してレノとの密会の事実を告白するシーンがある。 いわゆるみんなで悩みを吐露して心が通じあう名シーン*1だが、初見時私はこう思った。
「個々の悩み掘り下げないのかよ!  尺の都合かもしれないけどならやっぱテレビシリーズで観たかったな……」と。同じように感じた人は結構多いのではないだろうか。
個の悩みを「みんないろいろ悩みはあるし戻りたくないよね。みんな一緒なんだ」という共感で薄めて、それが自分の悩みと向き合う勇気、元の世界に帰る勇気を持つ最初のきっかけとなる。
わるくはない。けどどうなんだろう。テレビシリーズならひとりひとりオムニバス形式で焦点を当てヒロイン同士の交流を描いて丁寧に心を解きほぐしてそれからダンスで世界を救うんじゃ……そんなストーリー展開にもできただろう。
しかしそのシナリオラインはおそらく『ポッピンQ』という作品が掲げるスタンスとは異なるのだと思う。

「自分の力で乗り越えないと、意味がない!」(沙紀)

この作品は旅先で仲間の協力によって個々の悩みやトラウマを払拭し、あるいは払拭できるという確証を得て、元の世界に帰る物語ではない
ただ自分の問題と向き合う勇気を得て、帰った先々で各自ひとりでケリをつける物語である。そうでなければ意味がない、とも言う。

……とはいえ、主人公である伊純と、ダンスが自己の問題の中心にあった沙紀以外の3人の掘り下げが少ないのは純然たる事実。 受け手が彼女たちに共感するためのレールはそこまで親切には敷かれていない。
ヒミツで甘い♥パートナーとのサイドストーリー『ポッピン・ドロップ』*2を読んだほうが共感しやすくなるのは間違いない。思慮深いピュアな女児ならあの夜の一幕と周辺の描写だけで容易く共感可能なのだろうが。
私を含む多くの受け手にとって補助線としてこの上ない一作なので、本編を観て良かったと感じた人には激烈オススメ。
ぜひ読了後の2周目で精神を爆発させてほしい。 

ポッピンQ~ポッピン・ドロップ~ (小学館ジュニア文庫)

ポッピンQ~ポッピン・ドロップ~ (小学館ジュニア文庫)

 

 余談だが、彼女たちはその場所で生きている。私たち受け手の理解や共感とは一切関係なく、尊いものはそこにきちんと存在する。『ポッピン・ドロップ』で見えた少女たちの気持ちも、読む前から存在していたのだ。ただ私たちの気が回らなかった、想像力が足りなかっただけ。
このことを忘れてはならないと思う。


・『ポッピンQ』は最後まで解決しない。

本作の最大の特徴としてこの点が挙げられる。正確には「ラストの現実世界まで問題解決の確証を得られはしない」というべきか。
5人は異世界である“時の谷”にいる間、決して自身の問題についての直接的な解決を与えられない。
また、先に挙げた通りこの作品の根底には「自分の問題は自分で解決しなければ意味がない」というドライな価値観が横たわっている。伊純の告白を受けた夜の後も、彼女たちは他者の問題に踏み込まない。解決できないことを知っているからだ。他ならぬ自分自身がそうであるように。
『ポッピン・ドロップ』においても、とうに内心の知れた自分の分身・同位体との内省的な対話こそすれ、仲間に対しては「○○ちゃんは(も)こうなのかな……?」と想像するだけに留まる。
彼女たちは互いに心を許した仲間でありながら独立している。

さて、繰り返しになるが、伊純の告白をきっかけに4人は全員が悩みを抱えていること・元の世界に戻りたくないことを知り、互いに心を通じ合わせる。
一方で個々の問題そのものに関しては宙ぶらりんのままだ。解決が与えられない状態で物語は淡々と進行する。
ここで重要なのは、彼女たちは現実に問題を抱えたままで勇気のダンスをマスターしたという点である。
彼女たちの「勇気」とはなんだろう? “時の谷”を救う使命感、元の世界に帰る(仲間を帰す)義務感、そして帰った元の世界で自分の問題にケリをつける覚悟。いろんな気持ちがないまぜの状態で彼女たちは突き進んでいる。
このどこか地に足の着いてない「勇気」はこちらとしても不安なものだ。内面の整理もついていないのにどうして勇気を持てるのだろう? としっくりこない人もいるだろう。
だが根拠が薄いから勇気なのだ。
不確かな未来へ漕ぎ出すエネルギーこそが勇気と呼ばれる感情である。
そして勇気とは、互いの私的な問題を分けあい背負いあうのではなく、ただ同じように悩んでいる仲間が前進しようとしている事実だけで奮い立てられる、もらいあえる気持ちでもある。


・『ポッピンQ』のダンスは祈りである。

ダンスは趣味も特技も異なる彼女たちをつなぐ媒介である。
しかし、沙紀を除く誰の問題とも直接関係しないものでもある。「音楽」「かわいいもの」「他人との協力が不可欠のもの」と、各々の問題と微妙に重なるポイントは散見されるけれども、やはり根本的には無関係。
では本作におけるダンスとは何なのか? どうしてダンスを主題に置いたのか?
自分と他者を鼓舞するダンス、今この時をめいっぱい楽しむダンス、「瞬間の今」の全肯定。いろいろ考えることはできるが、これについては終盤こう言及される。

 「ダンスはここで踊るの。自分を信じれば体は勝手についてくる」(沙紀)

『ポッピンQ』のダンスは「自分を信じる心の動き」そのものだ。
クライマックスにおける内面の描写をダンスという表現に置き換えてしまっている。この観点において実は『未来の歌』『FANTASY』は心情描写に他ならない。
ゆえにこれを頭でなく感受性・フィーリングで受容可能な段階になると文字通り胸を打たれてしまう。 

一方、上述したように、彼女たちの「信じる」は根拠が薄い。
ここが本作の勘所である。

伊純は少しずつ正直になり、仲間に嘘を打ち明けることができた。
小夏はダンスという与えられた題材を楽しむことができたし、あさひは自らの意見を仲間に対しては伝えられるようになった。 蒼は自分の殻に閉じこもらず、なんでも言いあえる友達を作れた。
そして沙紀はダンスを通して、また人とつながることができた。
作品側がまともに焦点を合わせてくれないこの一連の事実は、しかし現実世界での彼女たちの克己を、問題突破を約束しない。

ポッピンQ』はメインの5人が自分を信じる・信ずるに足る明確な根拠をラストまで描かないことで、逆に彼女たちの「信じる勇気」こそをこの上なく色濃く描き出し、その感情を完璧にダンスで表現しきった作品である。
彼女たちは自分を信じたのだ。心の底から信じきったのだ。リアルの問題など何ひとつ解決していない時の狭間で、リアルと無関係なダンスを踊って。

明日はどこからくるの
今日はどこに向かっているの?
見上げた空は冷たく
希望の光ひとつない

ラストの『FANTASY』から発せられる感情の力強さ、あやふやさ、祈りのような気持ちを受けて、私は涙せずにはいられない。
自身の抱えた問題、苦しみ、悩みに対する「本当は問題などなかった」「これができたのだから大丈夫」というような根拠・確証を得られないまま、なお彼女たちは自分を信じる。
それは科学や哲学によって類推可能な何らかの可能性を「信じる」よりもはるかに不確かな「信じる」だ。祈りと呼んでもいいかもしれない。
自分を信じるということは、つまりはそういうことなのだろう。まだ何者でもない中学生の少年少女などはとくに。

彼女たちは自分と向き合い、信じた。
克己できると信じようとした。
その眩い感情の迸りがラストのダンスに結実している。そのまま形に表れている。
私はこの眩しさに滂沱した。全身が打たれたように痺れてしまった。昨年の作品で一番泣いてしまった。ダンス3分のための1時間半という監督のコメントも十二分に理解した。私は心の中で叫んだ。がんばれ。がんばれ!! 泣きながら。
よく若い人、とくに悩める小中学生に見てほしいという意見を見かけるが、私もまったく同意見である。何も確かなものなど得られない、悩み苦しみの種類も異なる受け手に対しての、これはエールだ。

卒業は、悲しい通過点じゃない。卒業は、新しいスタートラインだ。

帰った先の現実世界で、彼女たちはひとりひとりが勇気を奮い、ひとりで自分を「卒業」する。
“時の谷”で振り絞った「自分を信じる勇気」によってダンスが成功した事実を、元以上の「自分を信じる勇気」に還元して。


以上が本作2周目時点での覚書となる。


・おわりに

一本筋の通った作品だが、十分に受容するにはこちらからのキャッチングが求められる。比較的セリフでの説明も多い世界観・設定を十全に把握し、メイン5人の心境についてある程度理解が深まった2周目で本領発揮したところはあった。私がここまでのめりこんだのも『ポッピン・ドロップ』を読んでの2周目である。 よりセンシティブな人は1周目でしっかり5人を掴めるのだろう。
あるいは、まったく別のアプローチで最高の境地に至っているのかもしれない。
このようなひねた裏返しの感想ではなく、よりシンプルに受け取って最高になっているのやも。
だって世界はシンプルなんだから。

優しくて幸せな映画だった。元気をもらえる映画でもあった。そして信じられないほどの深い感動を覚える映画でもあった。
続編よりもイベントよりも、どうにかもう一度劇場で観たい、公開し続けてほしいという気持ちが一番強い。

そしてこの映画が、伊純たち5人が「信じる勇気」を踊るその姿が、届くべき人、届くことで何かが変わるかもしれない人たちに届いてほしい。
今はそんな気持ちでいっぱいである。

*1:このシーンで「そんなことありません!」と真っ先に言い出すのは、自分の意見をはっきり表明できないという悩みを抱えるあさひである。これが勇気でなくて何なのか! 注視してないと見逃してしまう異常に遠回りな表現だ。『ポッピンQ』は女児アニメさながらの力押しでパワフルな作劇を機軸とする反面、こういうやたら細かい描写も得意だったりする。冒頭のセリフとか。寝姿とか。

*2:本作の関連書籍のうちの1冊。メイン5人と各々の同位体が織り成す1対1のやりとりを通して5人の内面を深く掘り下げる小説。名著。

話数単位で選ぶ 2016年TVアニメ10選

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私にとって2016年(のアニメ)は「愛」と「才能」そして「承認」の年であった。
そんな感じで10コ選ぶやつ。覚書に近い記事なので読みづらいところも多々ある。

ルール
・2016年1月1日~12月31日までに放送されたTVアニメ(再放送を除く)から選定。
・1作品につき上限1話。
・順位は付けない。


無彩限のファントム・ワールド 第11話「ちびっ子晴彦くん」

ベストオブ永遠に放送していてほしいアニメ2016に見事輝いた京アニ自社産ラノベアニメが繰り出す乾坤一擲のおねショタ回。まったりめな空気とポップなコメディ、予定調和の愉快なバトルに時おりほろりとくる人情味。てんこ盛りの快楽がもたらす視聴後の完全食めいた満足感が本作の大きな魅力なわけだが、11話はメインヒロイン・川神舞の魅力に傾注した回であった。

身体も中身も小学生に戻った晴彦の視点に寄り添いころころとテンポよくお話は進む。ファンタジーの許容量が莫大な本作ならではの軽妙さ。面倒見のいい舞先輩と青年時より数段小憎らしい少年晴彦との掛け合いが微笑ましくて面白い。
幼少期の長い時間をひとりで過ごした少年晴彦の孤独と、自分の存在が周囲に迷惑をかけているという自覚は身につまされるものがあった。生活感ある種々の描写が心苦しさを補強する。そしてそんな晴彦を先回りで気遣う包容力いっぱいの舞先輩が本当に素敵。私はこの回まで正直舞先輩のことはそんなに好きでもなかったのだけど途中から完全に舞お姉ちゃん……って呼んでた。
迷惑をかけていると知ってなお「戻りたくない」と口にする晴彦が、舞先輩の危機を前に「大人になりたい」と願い元に戻る一幕は直球ながらアツい。猫のおしっこくさかったんだもん! な砂場のファントムを敵に配置することで重くなりかねないバトル展開をライトな手触りに仕立て上げている。

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晴彦の嘘の作文が叶った夢のような現実の日々。その記憶を持ち帰ったのは舞先輩ひとりだけで、元に戻った晴彦はそれを事実としてしか知ることができない。
そもそも当の晴彦自身、そんな過去には既に折り合いをつけているのだ。この話は舞先輩が一方的に晴彦の過去に触れ、今の彼への心的距離を勝手に縮めたに過ぎない。
それでも、彼との楽しかった日々は、たしかに存在していたのだ。
証左としての「ともだち」の雑誌は晴彦の自室に残される。まったく困った子どもであったと晴彦をからかうみんなの「ウソウソ」に対して、寂しさや悲しさをかすかに滲ませた舞先輩の「ホントに」という一言、そして柔らかな笑顔で物語は幕を閉じる。
夢と現の境界が曖昧な、そしてその両方を大事にする本作ならではの素晴らしい話だった。

ここ数年で色々な作品を摂取してきて気付いたこと。
ある/あったかもしれない世界、現実未満の地平、絵空事ないし偽物の類を尊重する態度を取っている創作物に対して私は魂のレベルで弱いらしい。夢は夢だから現実を受け容れるのだ……というテーマではなく、ファントムの優しさをベースに夢と現実を等価値に置いた第4話もスマッシュヒットの回。

蒼の彼方のフォーリズム 第12話「もっと…飛ぼう!!」

「とにかく飛ぶシーンの魅力に尽きた。装備が極端に少ない点からは日常の延長線上に空があることが説明以上に伝わってくるし、空と人だけが映っているアニメーションは『空を飛ぶ行為』のプリミティブな魅力に満ちている。フライングサーカスという架空の競技の楽しさがこの原初的魅力を損なわず高めてくれるのが個人的にはベストかな。」

1話時点での感想が以上のもの。フライングサーカスが始まってもその魅力は一切失われなかった。遠近と角度を活かしたカメラワーク、ぐりぐり動く緩急の効いた飛翔、二対四足で描かれる軌跡の躍動感、そして空自体の抜けるような青さと、画作りに関しては言うことなし。ドラマ面はシリーズ構成・吉田玲子さんのリリカルな手腕が冴え渡る。たった今気付いたけどさっきのファントムワールド11話もこのお方の担当回だ……。
劇伴はElements Gardenが担当。ついでに言うとゴンゾ元請作品でもあるためストウィのノウハウも継承しているのかもしれないしそのへんは断絶しているのかもしれない。
とまれ、総じて超!名作と断言できる素晴らしいアニメに仕上がっている。

そんなアニメ版あおかなの最終回はこれまでの軌跡の集大成。互いへの憧れとリスペクトが織り成す、あらゆる競技者のあらゆるプレイングに対する全肯定である。
本作に通底する主題として「自分の飛び方の発見」がある。ヒロインたちや主人公、ライバルは自分以外の競技選手との練習や特訓、対戦を通じて「自分の飛び方」を見つけていく。相手の飛び方の良い所を真似したり、相手に通用する自分の得意技を磨いたり。
ここにアンチテーゼを突きつけてくるのがラスボス・乾沙希とリリーナのコンビ。沙希の得意技「バードケージ」「グリーンスリーブス」はいずれも相手の動きを阻害する戦法であり、相手に相手の飛び方をさせない。カードゲームで例えるならランデスやデッキ破壊のようなものである。
忌み嫌われるほどに強力な戦法はゲームからゲーム性を奪い去り、ともすればプレイヤーに恐怖を与える。観衆を楽しませる「サーカス」にもならない。

しかし作中ではこの飛び方を否定するのは、かつてこれらを開発した当人である部の顧問・葵だけである。真白などさらっと真似ている始末。
みさき、明日香は沙希の戦法に真っ向から対峙し、立ち向かう。そして沙希にはただ「一緒に飛ぼう」と語りかける。そこには沙希に対する競技者としての強いリスペクトが存在する。
みさきと明日香に触発され、リリーナに前述の飛び方を強いられていた沙希が、「一緒に飛びたい(これが初めて身に付ける「沙希の飛び方」でもある)」と願ったとき。
そしてグラシュのバランサーを外した(=一緒に飛ぶことを拒否した)沙希に追随する(=一緒に飛ぶ)ため、明日香もバランサーを外したとき。
今までの競技の常識を越えた、途方もない光景が現出する。
バードケージ等の技を開発してしまった、そんな自分のスタイルへの憧れをリリーナに抱かせてしまったことに対して葵がずっと抱え続けていた自縄自縛の呪いまでも解ける。主人公同様引退した身で、もう一度飛びたいと願ってしまうほど。

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自分にない何かを持った人が描く軌跡に憧れて、時にはそれに届かない現実に心折れることもあるけれど、それでも焦がれて、追うように飛翔し、最後には「自分の飛び方」を見つける。
この各人に共通するストーリーラインが競技と心情の両面で完璧に融和しているのがアニメ『蒼の彼方のフォーリズム』だった。
互いが互いの飛び方に何を感じてどう思ったかという点に着目し、改めてフライングサーカスの一戦一戦を観戦してみれば、他者と軌跡を交える行為の含意もうっすらと見えてくる。バードケージやグリーンスリーブスは「軌跡を交えない」技でもあるのだ(言い換えれば、みさき戦までの沙希は相手と一緒に飛んでいない。対戦相手はレースゲームでいうゴースト未満の扱い)。

だからこそ、互いに焦がれて追いあうことでしか生まれ得ないラストバウトの光景は、私には言葉にできないほどに美しく、そして尊く映った。
回想で度々描かれるアンジェリック・ヘイロー*1の延長線上にあるかのような、光の繭のような軌跡。
グラシュの描く軌跡をパイプとして、人と人との憧憬が、誰かと一緒に飛びたいという想いが、巡りあい循環している。

繊細かつ鮮やかな筆致でふたりの少女の感情の移ろいと友情の始まりを描いた第4話、明日香・真藤との対比を重ねて鳶沢みさきというひとりの競技者の再起までを描き抜いた第9話も本当に素晴らしかったのだけれど、今回は最終話に軍配を上げたい。挿入歌の使い方も相まり神がかった話数となっていた。既存のPC版主題歌なのにシーンに200%マッチしているという。
作品単位でも間違いなく今年べストアニメの一角。ベストなのに一角とはこれいかに。

■想いのかけら(25分版)

福島ガイナックス創生の光にして昨年『放課後のプレアデス』を製作した佐伯昭志監督の最新作。オールタイム1話完結アニメベストかもしれない(そんなに数観てないが)。
2015年秋初放送の2分版をバージョンアップした、2月放送の5分版は率直に言ってよくはなかった。ナレーションに会話にモノローグに挿入歌とレイヤーの異なる言葉を短時間で次々投げつけてくる困った作品だった。対して、この25分版は2分版に蒔かれた要素に新たな要素を盛り込みながらも、一切の余剰も不足も見当たらないパーフェクトな作品となっている。初見時、2周目、幾周目とボロボロ泣いてしまった。選出にあたり今また視聴したが案の定ボロボロ泣いている。

震災により母親を失った主人公・陽菜と父は「異なる時間」を過ごしている。漁師である父は早朝には仕事に出なければならないため早寝早起、結果として同じ仮設住宅に居ながら娘と生活時間帯がずれている……という意味合いがまずひとつ。
そして、震災に関する体感的な経過時間がふたつめとして挙げられる。当時小学生だった陽菜の記憶はおぼろげだが、一方で父は鮮明なまま。「七年も経った」と口にする陽菜と「たった七年だぞ!」と憤る父の姿は印象的に映る。
生活時間と体感時間の二点でふたりは噛みあっていない。付け加えて、陽菜は陸で、父は海で過ごす時間が長い。「異なる場所」で生きているとも言えるだろう。

そんなある日陽菜の元に届くのが、幼なじみのみちるが引っ越しにより街から離れてしまう事態と、七年前に埋めたタイムカプセルから取り出された一本のリボン、そしてボランティアの写真修復プロジェクト「想いのかけら」によって修復された亡き母との写真。
陽菜はリボンが母親から贈られたものであることを思い出し、同時に母を忘れてしまっていた自身に対する悲しみ、楽しかった日々が永遠に失われている現実への悲しみに直面する。これにより陽菜の体感時間は父のそれに急激に接近する。

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昼と夜が交わる夕刻、陸と海が交わる防波堤で、父娘の時間と場所はひとつになる。シチュエーションを比喩っぽく重ねているのも詩的でグっとくる一幕。
陽菜は自分の気持ちを父に伝え、無理なのはわかっているけどこの街をどうにか戻したいんだ、諦めきれないんだという父の気持ちを知り、ひとつの回答に辿り着く。

「無理かもしれないけど、この街が好きってそういうことだもの。それが当たり前なんだよ。好きな気持ちを忘れることのほうが、やっぱり悲しいと思うもの」

陽菜も、みちるも、街も変わっていく。当人の気持ちとは関係なく。
変われないのは父の感情だけだ。そんな父を陽菜は否定しない。 みちると別れてしまったことが、母を忘れていた今の自分が、そうした変化のひとつひとつが、たしかに悲しかったからだ。

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「だけどこうして、ほんの少しずつ、少しずつ、気付かないくらいにしか違わない毎日を重ねながら、私たちは変わっていく」

7歳の自分から贈られたリボンが、すべてを元に戻したいと願う父の気持ちの肯定につながり、同時に14歳である現在の自分が(本来届く予定だった)20歳の未来に向かうための背中を押す。
「途中で届いたタイムカプセル」というアイテムを用いるにあたり、これ以上ない作劇だろう。

ところでこの「私たちは変わっていく」という台詞は、私には能動的にも受動的にも聞こえる。
否応なしに流れてしまう時間というものへの諦観……つまり「私たちは変わっていってしまう」ことと、その上でなお何かを積み上げていこうとする「私たちは変わっていく」決意がこの一言に集約されているからだ。
「時間」という人にはどうしようもないもの、それによりもたらされる「変化」に対して、挫けず、面を上げ、前に踏み出す。転んだなら切り返して持ち直す。結果が伴わなくとも、笑う。
アニメでは陽菜が独白と共にフィギュアスケートでこうした美しい姿を見せたが、この独白の主語はあくまで「私たち」である。では「私たち」に含まれる人とは? アニメの中の人々? それとも現実の被災者の方々?
もちろんそれらもあると思うけれど、私は「時間」「変化」に抗えないすべての人へのエールだと解釈したい。それくらい誇大に考えてしまう普遍的パワーを本作には感じた。

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他ならぬ「変わってしまった(仕方なく町を離れた)」側のみちるが「変わっていく」陽菜を観客席から見て涙と笑顔を浮かべるの、いくらなんでも反則だろう……。

ビッグオーダー 第6話「オーダー! つなげ、魂!」

えすのサカエ的としか形容できない異常な空気が支配する本作。展開の突飛さと論理圧*2の凶悪さがクセになる原作に例のゴキゲンな劇伴と森田成一さんの「オーダー!!(絶叫)」をオーダーしたアニメ版『ビッグオーダー』、信じられないほど脳にキマる。今年最も脳細胞に深刻なダメージをもたらしたアニメといえば『ビッグオーダー』。次点で『アンジュ・ヴィエルジュ』だろうか。
速い・オカしい・イカれてる。三拍子揃ったドライブ感に1話完結としての完成度を備えたのがこの第6話である。

「お前を妊娠なんかさせねえから!」という2016年最悪の台詞のインパクトは勿論のこと、やたら気合の入った蕎麦の作画、脱衣、少年と少女の機微に沿ったリリシズム溢れる一幕の会話、瞬間心重ねて合体、オチの次元両断<ディメンションソード>と見どころは異様に多い。というか見どころしかない。神魂命の「ヨダレ止まんね」という台詞を「やっべお汁が止まんない」に改変した高山カツヒコとかいう脚本家はえすの先生のぶっ飛んだノリとちょっと相性良すぎたのだろう。次回作がもしアニメ化したなら絶対また登用してほしい。

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あまりにも唐突に登場する敵方最強クラスの剣客・柳生十兵衛より放たれる無体なガー不必殺技・次元両断<ディメンションソード>がオチを一手に担う。敵の刺客は始末されるしお汁止まんない巫女は死ぬ。全体の流れまで両断して即ED。ヘタな爆発オチなんて目じゃない傍若無人な展開である。それにしてもものすごい絵ヅラだ。飛ぶ斬撃がエネルギーや空気でなく金属質なの初めて見たぞ。
そんなきわめて完成度の高い回。あとそれと壱与がとてもかわいい。

アンジュ・ヴィエルジュ 第9話「誰よりも速く」

アンドロイドは人間の理由なき「大切」を理解できるか。
どこを切り取ってもべらぼうに会話が濃くて胸焼け必至な本作、白の世界編はシンプルな言葉ひとつに膨大なニュアンスを籠めてズバッと投げこんでくる。パートナーを想うふたりの少女の、アクセル全開のドラマティックな衝突。叙情とドライブ感に満ちており、ロジック面でも優れた傑作回だった。 

詳細は上記の記事の白の世界の項に記載したので割愛。
上の『ビッグオーダー』も併せて、個人的に2016年は高山カツヒコイヤーだったと言っても過言ではない。

ガーリッシュナンバー 第1話「やさぐれ千歳と腐った業界」

俺たちのディオメディア*3が満を持して発射した2016年の最終兵器。ディオメディアラノベアニメのある意味ひとつの結節点。
「社会通念上汚いとされる欲望(承認欲求を含む)」「それを求めてしまう人格」「いくらでも代わりの利く人材・事物」という諸々の残念なシロモノに作中で「クズ」「クソ」というバズワードを割り振り、それらすべての存在を認める祈りと許しの物語が本作だが、第1話はスタートからゴールの勝ったなガハハ!に至るまで作品のヤダ味を結集している。
「このアニメはこういう作品です!」と視聴者に力強く宣言するのが第1話の役割だとするなら、この回はその役割をきっちり果たしているといえるだろう。後の第11話(この話数を選出したかった気持ちも大きい)において主人公・烏丸千歳が辿り着く、邪道も邪道の境地を1話時点で完璧に予想できる人はそういないと思うが……。

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特殊OPの舞台裏でくるっと回って無邪気に笑っている千歳はちょっともうめちゃめちゃ可愛らしい。そして切ない。胸がきゅっとする。
イベントの帰り道で百花と一緒になり、連絡先を交換して別れた後の「なんかいいなあ」も、格上の声優と知り合えた喜びと単純に友達ができたことへの喜びが渾然一体でなんともエモい。八重と京の出番を2話にズラし、ぐだギスっとした現場の空気と千歳の魅力を前面に押し出すことを優先したという点でも技ありな1話である。
それにつけても九頭P。「宴も高輪プリンスホテル」→「よっこらセックス!」の流れはいくらなんでもひどすぎる。フツーに目眩を起こしてしまった。絶望感すら覚える台詞回し。これはひどいアニメがきちゃったぞと思わせるには十分過ぎるしなんならここで視聴打ち切りまである。

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千歳はアレだし社長も軽いしラストの三人の掛け合いオモシロすぎる……無駄に劇判のラッパが効いてて尋常ではないアッパラパー感。破滅一直線の物語の幕開け、なんかもう全部がきちゃない。そしてそれでこそ意味がある。『ガーリッシュナンバー』という作品を象徴する名シーンのひとつ。
余談だが、今後悪化の一途を辿る烏丸千歳のパーソナリティは前日譚の小説を踏まえると余計複雑に映る。これがまた大変な読み応えがある。ただの小学生めいたノータリンなスカタンではないらしいのだ、一応。

さらに余談だが、本作の主人公・千歳と上に挙げた『アンジュ』の主人公・紗夜、後に述べる『卓球娘』の主人公のひとり・上矢あがりは、いずれも承認欲求に囚われて前が見えなくなってしまった人物。
それでいて全員がまったく異なる三者三様の答えに行き着いたのはとても印象に残った。
バトルものであるアンジュはともかく、このようなケースにおいては部活もの・業界ものの場合「承認欲求もあるけど題材にしているものが何より好き!」を結論に置くのがベタで強力な一手となる。そういうの一切言及されない烏丸千歳は突き抜けている……

灼熱の卓球娘 第3話「好きっ!!」

そのベタを十全にやりきったのがこの熱量の暴風雨みたいな回。
部内ランク1位の座をこよりに奪われかねない事態に焦燥感を禁じえないあがり。今のあがりにとって卓球は目的ではなく、承認されるための手段に変質している。ラケット型のサイリウムを前にアイドル姿でステージに立つイメージ映像は笑えるが驚くほど本質を突いている。身に覚えがあったりあったりする。おかげでびっくりするくらい刺さった。不覚にも涙腺を殴打されてしまった。

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何をやっても人並みにできない、何にもなれない、けどでも何かになりたかったときたまたま出会ったひとつの競技で、人より少し上手くできたことをほめられて、嬉しくて、それを好きになって……そんな誰でも持ちうる導線に対しての「ほめられるのが好き? それともそれ自体(卓球)が好き?」という問いをフォアハンドスマッシュのプレイひとつに集約する構成力。
動機はどうあれ努力を重ねて都ベスト8まで上り詰めたあがりの向上心自体は心底尊敬できるものだから、部員のあがりに対する尊敬も今と昔とでさほど変わらず、ただ賞賛だけを追い求めてそれに振り回されてきたあがりの「賞賛の受け取り方」だけが変わった……この変遷を、あがりの笑顔ひとつで示すシナリオ力。
特殊OPで負けられない理由を語り、特殊EDでそれから解放されるまでの彼女の道程を並べ直す演出力。
どれを取っても素晴らしいし、ここまでやるのはズルいとも思った。

ほめられたいから勝ち上がりたかったあがりがこよりのプレイに「好き」を引き出されたのと対照に、「好き」だけで満足していたこよりがあがりのプレイを間近に見て自身の勝ちたい理由を定義する第5話(全国を真剣に目指すというあがりの思いそのものはこより戦前から持ち続けていたというのがすごくツボ)、承認されたいという一心であがりが積んできた努力と育んだ実力を肯定する第9話と、本作は作品全体を通してのバランス感覚にも優れている。
『卓球娘』は全12話の構成を逆算して作ったかのように連続的に主題が散りばめられており、恐ろしくまとまりが良い。そのあたりを適宜拾っていくのも楽しかった。
競技に向き合う少女たちひとりひとりの心に真摯に寄り添った名作。

フリップフラッパーズ 第6話「ピュアプレイ」

不和の家庭と子どもの孤独を描いた話にめっぽう弱い。
ふわっとした印象の過去5話の冒険とは明確に切り口が異なり、第6話は血肉を伴った「イロドリ先輩の過去」として捉えられる。パピカとココナで先輩の心の役割を正負に分離するイリュージョンは子どもの精神の有り様を如実に描き出す形で作用し、内容の生々しさをいや増す。
画面レベルでの暖色ー寒色ーモノトーンの使い分け、初めは意味のわからない「イロはイロだよ」という台詞が「彩いろはは初めからひとりであり、両親の不仲やおばあちゃんの認知症に直面した『不幸なイロ』を切り離しての『純粋に幸福なイロ』という存在はこの世のどこにも存在しない」という現実をおぞましいほどの鋭さで突きつける。
どこにも行き場のない彩いろはの閉塞を打破するのは「忘れられたらまた名乗る」という約束。絵の端に名前を書くようになったPI後の変化も示唆に富んでいる。

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爽やかに終わった6話ラストが7話アバンによりまったく別の意味合いを帯びてくるのも強烈。

と、こうしてざらっと書いてはみたが、正直私には全然消化しきれないレベルの回である。
『フリフラ』は各話まったく味わいの異なるパワフルな大冒険を描いた前半から一転、後半は広げた風呂敷を畳むべく怒涛の設定回収と母子を取り巻く主要人物のドラマに終始し収束していく(ラストは再び発散する)のだが、結び目となっている6-8話あたりが私は特に好みだった。9話のココナーヤヤカ戦は幼なじみ好きにはつらすぎてつらい。結局ヤヤカのほうがぽっと出のポット野郎だったわけで……新人脚本家ハヤシナオキ、絶対許せねえ……

響け!ユーフォニアム2 第9話「ひびけ!ユーフォニアム

群雄割拠の2015春アニメ最強の一角だった『響け!』。続編となるこの作品も実に最高の逸品だった。サブタイトルがタイトルの回は……。
高坂麗奈さんのオトメムーブがはじけるAパートも実にイイが、面倒くさい女子が三度の飯より好きな私はBパートの田中あすかについて書こうと思う。
香織先輩の登場から始まる、手すりや柵を用いたあすかとの隔絶を示す画面作り。香織に靴紐を結ばれるあすかの表情は窺い知れないが、恐らく大変おっかない。誰に何を縛られるのも厭うあすかのキャラが端的に描かれている。

勉強会の休憩時間に、あすかは自分がユーフォを吹く動機を語り、久美子はそれでもあなたの音が好きだ、今すぐにでも聴きたいと返答する。
私情を殺した滝先生を既に描いているからこそ対比でいっそう際立っている、私情で動いてしまったあすかの自嘲に「そこに何があっても私はあなたの音が好きです」という気持ちをぶつけたのが、あすかが最もユーフォっぽいと感じ憧れた黄前久美子という……その……

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「私、自分のことユーフォっぽくないってずっと思っていたんだ」にはショックで息が止まってしまった。
あすかの独奏は美しく、胸を打つものがあるが、ここでも鉄橋を挟んでふたりの断絶はなお続いている(と読める)。
これを「吹奏楽部という巨大な郡体のうちのひとり」ではなく「黄前久美子という個人」として飛び越えるのが第10話だろう。あなたの音が好き! に留まらず、自分のため(そしてあすか自身のため)に本番の舞台で吹いてほしい! と語った久美子は、私利私欲で吹いてきたと吐露した9話のあすかに対応する。だからこそあすかの許し、救いとなれる。
この、誰のため、何のために吹くのかという命題は『響け!2』全体を貫く柱のひとつなのだと思う。

家族の影響から教本の種類、誰かにほめられて嬉しかったことまで黄前久美子田中あすかのスタートラインはまるで同じ。
ずっと黄前久美子のことをユーフォっぽいと感じていたあすかの目線で振り返る劇場版『響け!2』絶対観たい……観たい!!!

ViVid Strike! 第10話「雨」

2016年最高のアニメは今なお議論が待たれるところだが最強のアニメはこれであった。
選んでおいてなんなんだけどこの話数そのものについて私が何か語るのは難しい。会話劇が凄絶、これに尽きるからだ。一撃が重い。キレ味も抜群。一言話すたびに精神が爆発する。都築脚本神話の再誕を見た。ぶっちゃけ台詞全部書き起こして最高!!!! 以上!!!!! って書いて失神するのが一番手っ取り早い気がする。
とはいえ選んだ手前最高!!!! で済ませるのもやっぱアレだから色々書いてみようと思う。結論から言えばリンネ・ベルリネッタの掘り下げがこちらの想定を圧倒的に凌駕していたのと、背後で静かに進行したフーカ・レヴェントンの物語の両面に完敗したのだが。

これより前の話数でも出てきているが、リンネの台詞は強くなったと「思いたくて」という言い回しが肝で、彼女は自分を信じられるようになるための手段として格闘技に傾倒していた。リンネの強迫観念めいた強さへの執着が、ヴィヴィオ相手の二度の敗北できれいさっぱり意義を見失うのは理に適っている。
フーカは拳と言葉でリンネの本当の気持ちを掘り起こしていく。「心が弱いからベルトにつられてフラつく」「お前の求める強さは自分の弱さから逃げ出す言い訳じゃないのか」「お前はベルトを心の支えにしたいわけでさえない」。この行程のひとつひとつも威力満点で吐きそうになるほどキツいのだが、最後にリンネから飛び出してくるのは「許されたいけど許されちゃいけない」「私は世界で誰より私が嫌い」という凄まじい自罰と絶望。これにて私はぐちゃぐちゃ泣く。悲しくて泣く。どうして被害者のはずのリンネが殺人者めいた自責を背負っているんだ。

この瞬間、5話から歩みを止めなかったフーカの動機も変転する。
彼女はリンネを尊重していた。「今さら何もできることはない」「リンネの悩みはリンネのもの」とリンネの重ねた四年間と変わってしまった事実自体は肯定して、ただその結果として変質した「今この瞬間のリンネ」が死ぬほど気に食わないから殴りつけにいく。そういうスタンスでこの決着の場に臨んでいるはずだった。断じて「あいつを更正させたい」などというお節介な話ではなかった。
それはフーカ・レヴェントンという人物が幼い頃から抱え続けている、他者に対して一線を引く気性だ。孤児という出生に由来するものなのだろう。ジムの仲間全員に一貫して敬語で話すのは単に先輩という理由だけでなく、このあたりも遠因なのかもしれない。

しかし、リンネの苦しみが今もなお続いていることを知ったフーカは明確に「お節介」にシフトする。厳密には「お節介をできるようになる」「したいと願えるようになる」。突き放されても付き合おうとする。リンネの言葉を借りると、彼女はお説教もお節介も……他者の内面に踏み込む行為が、大の苦手であるはずなのに。

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リンネの一撃に気を失いかけ、倒れる間にフーカが思い起こすのは孤児院でリンネとお菓子を分けあった日。生まれて初めて笑えた日。
友達の痛みを半分背負いたい、一線を踏み越えたいとフーカが希えるようになった、その原初の光景にもリンネがいたという……。

「お前がわしを嫌いでも、ただの他人だと思っていたとしても、それでええ。わしには、お前は大切な幼なじみで、友達じゃ! だからじゃ。お前がそうやってひとりで泣いとるんが、涙で目を腐らせとるんが、わしはどうにも我慢がならん!!」

「つらいことや後悔があるなら、誰にも言えんことがあるなら、わしが半分背負ってやる。お前を苦しめるものがあるんなら、わしも一緒に戦ってやる。じゃけん、わしが大好きな幼なじみのことを、自分のことを、嫌いだなんて言わんでくれ」

ほとんど目立つことはないが、大きな悲劇を背負った少女・リンネ・ベルリネッタの物語の裏にはたしかにフーカ・レヴェントンの物語がある。この両面性はなるほど、かの系譜の始まりの物語に連なるものなのだろう。

なんか全体の話になってしまった。やっぱりこの話数は語りきれないなと今こうやって書いて思う。台詞全部書き起こしたほうがいい。なんなら観るのが一番早い。
リンネがこのどうしようもない自罰の檻から解放されるための拳撃に「きっと、神様だって倒せます」という激エモセンテンスを当てはめた(作中で一番好きな台詞です)第11話『撃ち抜く一撃<ストライク>』も至高中の至高、超傑作回だが、今回は最も精神を打ちのめしてきた10話を選びたいと思う。
春に放映された『ばくおん!!』も併せて、客観的に2016年は西村純二イヤーだったと言って相違ないだろう。
キングレコードの提供でお送りしました。


以下、他に候補に挙げていた話数も10コ。
ファンタシースターオンライン2 ジ アニメーション 第6話「禁じられたPSO2
あんハピ♪ 第7話「はなこのお見舞い」
キズナイーバー 第7話「七分の一の痛みのそのまた七倍の正体に触れる戦い」
甲鉄城のカバネリ 第3話「捧げる祈り」
ばくおん!! 第5話「つーりんぐ!!」
ふらいんぐうぃっち 第8話「常連の鳴き声」
Re:ゼロから始める異世界生活 第13話「自称騎士ナツキ・スバル
ReLIFE 第10話「みんなのワガママ」
装神少女まとい 第11話「いってきます」
ユーリ!!! on ICE 第11話「超超がんばらんば!!グランプリファイナルSP」
ハイスクール・フリート 第10話「赤道祭でハッピー!」*4

聖戦ケルベロス 竜刻のファタリテ』や『田中くんはいつもけだるげ』、『クロムクロ』『ももくり』あたりは総体としてきわめて良かったので話数単位には挙げられなかった。
こうして挙げてみてわかったけど、やっぱり私は味が濃くてわかりやすい話が好みらしい。毒が仕込んであるとよりグッドである。

以上。今年のアニメも豊作でした。
年を跨げばすぐに次クール。霊剣山で待ってるぜ!

*1:選手時代の葵の技。相手の周りを周回することで動きを封じてタイムアップを狙う。これも「軌跡を交えない」技である。

*2:よくよく考えるとムチャなロジックを、有無を言わせぬ勢いと場の雰囲気で押し通して受け手の首を縦に振らせる力。造語。

*3:渡航が言ってた。

*4:当確レベルの話数なのだが作品そのものを十二分に楽しめていないので選外とした。私の受け手としてのレベルがはいふりに追いついていない。

【イベント参加告知】天体のメソッドオンリーイベント「北美祭2016」11/5(土)@大田区産業プラザPiO

イベント概要

隙間ジャンル総合イベント「スキマフェスティバル11」内イベント「北美祭2016
北07「窓色アルバム」

新刊情報

f:id:n_method:20161027133325p:plain ジャンル:天体のメソッド

 誌名:天体の足跡

 版型:A6(文庫サイズ)オンデマンド

 イベント頒価:700円

11/5(土)大田区産業プラザPiOにて開催される北美祭2016で、天体のメソッド二次創作小説「天体の足跡」を頒布します。
Pixivで公開中の前日譚の加筆修正版2編、およびそれらの続編となる書き下ろしのアフター2編、以上4編収録で計252頁となります。
いずれも戸川汐音メインのお話です。

本作メインとなる書き下ろし中編「星の辿り着く場所」のサンプルも現在Pixivにアップロードしております。

7年前汐音と花織が交わした手紙、乃々香とノエルの抱える痛み、そして汐音の将来の夢、みたいなお話。
会場では本編に収録しきれなかった8ページの掌編(修一メイン・過去補完)もコピー本として無料配布しますので、天体のメソッド好きな方は是非お立ち寄り頂ければ幸いです。こちらは花織が逝去した直後のお話となります。

また、主催者様のサークル(北01,02「そらメソファン.org」様)で頒布される、オンリーイベント開催を記念した合同記念誌「流星たちのアンコール」(総ページ数70・フルカラー)にも掌編を寄稿させて頂いているので、よろしければこちらも併せてお求め頂ければ何よりです。
天体のメソッド本編では登場していないとある女性についての想像(捏造!)となっております。たぶん寄稿者の中で一番暗い。

それでは、11/5 北07「窓色アルバム」にてお待ちしております。
当日はよろしくお願いいたします。

わかりあえない少女たちの、大切な絆の結び方。~TVアニメ『アンジュ・ヴィエルジュ』読解・総感~

この宇宙には5つの世界があった。
夜と魔法が支配する黒の世界「ダークネス・エンブレイス 」。
祈りと神々が守護する赤の世界「テラ・ルビリ・アウロラ」。
科学と電脳が管理する白の世界「システム=ホワイト=エグマ」 。
武器と軍隊が統治する緑の世界「グリューネシルト」。
そして、青の世界――この「地球」。
ある日突然、その5つの世界を結ぶ門<ハイロウ>が開いた。世界接続、ワールドコネクト。それは、滅亡に向かう合図。
世界を支える力の源、世界水晶が力を失い、5つの世界が完全に繋がると、すべては滅びる。それが世界崩壊、ワールドエンド。
世界を滅亡から救うため、青の世界、地球の青蘭島に、世界を救う力を持つ少女達が集められた。特殊能力エクシードを持つ彼女たちを、人はプログレスと呼んだ。そして、プログレスとリンクしその能力を増幅できる者をαドライバーという。プログレスは、αドライバーと絆を深めることにより、強力な力を発揮する。
世界崩壊ワールドエンドを回避するため、彼女たちは、ウロボロスと戦い続ける!(第1話冒頭より)

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文句なしの2016年(暫定)ベストアニメ。
ガワは異形、骨子はド王道のとんでもないダークホースである。面白いかは人それぞれだが特異なアニメ体験となることは保証できる。

TCGソーシャルゲームを原作とするTVアニメ『アンジュ・ヴィエルジュ』が最終回を迎えた。初めて第1話を観た時にはちょっとエッチでバトルもあるよ! なヌルい販促風呂アニメかと思ったのだがヌルいのはこちらの想定であった。
透徹したディスコミュニケーションの厳しさを根底に据えた世界観の中、少女たちが絆を結んでいくエモーショナルで情緒溢れるドラマ。オムニバス形式で語られる彼女たちひとりひとりの苦悩は時に等身大、時に恐ろしく重く(ひとつは身障者のコンプレックスと相違ない)、それらが『ef』『喰霊-零-』などを手がけた高山カツヒコ氏により、熱量と繊細さに満ちた鮮やかな筆致で描き出される。
滅亡寸前に追いこまれた世界、チームの中心人物への不信と不和、それによる中心人物の仮死、と各人の悩みを抜きにしても非常にハードな設定群だが、作風がシリアスに偏りすぎないよう風呂シーンや気の抜けるギャグ、繰り返し見たら脳に深刻な損傷が発生しそうなコントにおかしみいっぱいの画ヅラ諸々を織り交ぜ、重厚さと軽妙さを兼ね揃えた奇っ怪極まる快傑作となっている。
すべてがかわいい『ごちうさ』がかわいさだけのアニメではないように、『アンジュ』も断じて風呂のみのアニメではないのだ。

この記事では全12話を5人のメインキャラごとの編+αに分け、いくつかの私見を交えながら各編の雑感を並べていく。どう読み取ったかの覚書ともいう。半ば文字起こしになってしまった編も多いがどうかご容赦願いたい。
もし未視聴の方で少しでも興味を持った方がいたのなら↓の序章の項までで一旦止まり、オールネタバレとなる以降へ進む前にぜひ一度視聴してみてほしい。話が熱を帯び始める第3話、できれば全体の構造を掴める5話まで。
アマゾンプライムビデオで観るのが今のところ一番安上がり。配信が軒並み有料(おまけに2週遅れ)なのがこの作品の最大のネック……。

【2017.3.16追記】↑のリンクが切れているためdアニメストアに差し替え。


また、本作がどういった作品なのかを最も端的に語り表しているのが以下の監督およびシリーズ構成・脚本への放送直前インタビュー記事なので、これも併せて読むのをオススメしたい。
中盤あたりまで視聴した後に読むと両氏のあらゆる発言に頷く他なくなる。

>高山:恐らくですが、1話を見ただけではわからないと思います。たぶん2話まででもわからない。3話までいったらもしかしたらわかるかもしれない(笑)。でも、4話までいったらわかるかもしれません。そこから先はきっと期待通りです。

 

1-2話(序章)

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「私には、もっともっと可能性があると思っていた」

序章は今後の闇堕ち展開のための助走、言うなれば種蒔きである。
24分の視聴時間のうち約半分、11分弱が風呂シーン(体感時間に比して意外と短い?)。パートを跨いでも画面上では規制の閃光が踊っている。ショートアニメならいざ知らず30分枠のアニメの第1話としては異常という他ないだろう。度肝を抜かれた(そして視聴を切った)視聴者も多いのではないだろうか。
正直この1話を観て「この後何かある」とは直感できても、大化けするとまでは信じられない。そうした感じの開幕である。
そんな半分お風呂な第1話では、カードレアリティを強さの格とする身も蓋もない世界観、αドライバーとプログレスの関係、ウロボロスに攻められて世界がピンチ! といった基本設定と並行して、各色の世界(青、黒、赤、白、緑)の先輩メンバーと後輩メンバー――UCプログレス、主人公となるメインの5人――の関係性にもちょこちょこ触れていく。1話だけで17人もの登場人物、それも全員が女性というわけで誰が誰だか把握しきれない。蒼月紗夜と彩城天音くらいしかピンとこない。キツい。この1話は今年他に類を見ないほどに視聴するのがつらかった。
しかし今では何周もしている。考えてみれば不思議なものだ。

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本作最大の特徴として、真面目な話や人間関係の掘り下げはだいたい浴場で行うというのがある。このためどの話数においてもお風呂シーンは重要なのだが、特に読み応えがあるのがこの1-2話だ。しばらく話数を見進め、登場人物のプロフィールや各々の関係性を把握した頃に見返してみれば、端々の細かい描写が「こういうことだったのか!」「ひょっとしてこう考えていたのかも?」という人物理解・読解につながってくる。各世界での先輩-後輩-天音のドラマを見ていく上でもこれでもかとばかりに効いてくる。11分間の風呂はおそらく、構成上必然的に生じている。
いわゆるサービスシーンとしてのお風呂とはややスタンスが異なるのだ(恒常的にただそこにある肌色、という側面においては『ストライクウィッチーズ』のズボンも少し近いが)。
初視聴時は公式サイトのキャラクター紹介で誰がどういう人間か、どの色の世界に属しているかを軽く頭に入れておくことを推奨する。観ていけば最終的には全員覚えられるが、初見でもより楽しめるようになるだろう。実際私はそうした。
 

[他、印象に残ったシーン]

○1話アバン

「紗夜ちゃん、ウロボロス出現! 11時の方向!」
「わかってる」
「注意してね紗夜ちゃん、みんなが援護に行くから」
「わかってるって!」
「みんなが来るまで無茶しないでね!」
「だからわかってるって!」

びっくりするほど連携していない。後の話の戦闘と比較するとUCプログレス同士の功績の奪い合いにしか見えないほど。紗夜など天音にダメージを肩代わりさせて「こんなの無茶じゃないし!」とのたまう始末である。島に侵入したウロボロスは先輩ふたりが尻拭い。これはひどい
ナイアだけはアルマリアのサポートをしているようにも見える。

○1話・紗夜の過去

「他の誰にも真似できない、私だけの力。すごく綺麗、すごく素敵! 私自身すごいと思った。特別だと思った。なんでもできると思った。だけど」

紗夜の原初の風景。エクシードに覚醒した夜の記憶。
ここで紗夜が希った「特別」を埋めうるものはすぐ近くに存在するのだが(=天音)、最終編に至るまで気付くことができない。
また後述するが「誰か(天音)の特別」になる可能性は過去天音のチームに入った日に自分自身で否定してしまうため、最終話までの紗夜は「世界の特別」になることでしか心を満たされない状態となっている。

○2話アバン
寮への道がわからず迷うふたり。後ついてけばなんとかなるべーと日暮れまで他人の後ろに付いていく紗夜は根本的にテキトーで俗人だ。一方で自身も誰に道を尋ねるでもなく進み続けた天音、こちらは何かと気負う性分なのだろう。
手を繋いだら溢れ出すエクシードは視覚的にも美しい。紗夜が天音に運命じみたもの(≒特別)を感じたのだとしたら少し切ない。

○2話・紗夜と天音

「特別っていうのは、日向先輩みたいな人のことを言うの! 日向先輩や御影先輩みたいな、SRやEXRクラスの人のことを言うの!!」

先輩プログレスの美海・葵が訓練後に自分たちのαドライバーを気遣う傍ら、自身もあんなふうに強く特別でありたいと感じた紗夜は先輩たちとは対照的にαドライバーの天音を糾弾してしまう。
極めて悪意ある、しかし完璧なシーンの繋ぎ方である。
天音の「そんなことないよ! 紗夜ちゃんは特別だよ」が虚しく響く。自分は「天音の特別」なのだと今の紗夜が信じることはできない。
加えて、この時点で紗夜が求めているのは先述の通り「世界の特別」である。「誰かの特別」ではない。

○2話ラスト

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メイン5人と親しかった7人の先輩プログレスは全員闇堕ちし敵の手に落ちる。また、UCメンバーのリーダーである彩城天音を含めた青蘭島のすべてのαドライバーが敵の力によって封印される。絶望的な敗北。〆のブツ切りが生々しすぎる。
アニメ『アンジュ・ヴィエルジュ』真の幕開けである。


3話(青の世界編・1) 大切なのはわかろうとする気持ち

『アンジュ』を通底する価値観が提示される回。私が本作に惚れてしまった話数でもある。4周目くらいでボロボロ泣いてしまった理由が今なお判然としていない。

2話で天音の努力を知った紗夜だが、特別になりたいというコンプレックスは根深く、また今まで取ってきた態度も手伝ってすぐに変われはしない。3話前半において天音を助けようとする際の、どこか義務感を覚えさせる態度が痛々しい。
それらを一片残らず剥ぎ取るのが、闇堕ちした憧れの生徒会長、EXRプログレス・日向美海である。

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「大切なのはわかることじゃない、わかろうとする気持ち。でなきゃずっとわかりあえないまま」

努力を怠り、自身が弱い責任を天音に被せ、天音を理解しようともしなかったと断罪する美海に「人のことなんてわかるわけない」と反駁する紗夜はあまりにも直情的で、故にディスコミュニケーションの核心を捉えている。ちゃんと言わなければ、見せなければ他人の事情などわからない。それもまた真理だろう。
しかし紗夜の問題はそもそもわかろうとしなかった点にある。

2話序盤の風呂で天音を責める姿勢や、2話後半の戦闘での「(リンクが)全然来てない!」発言を見てわかる通り、UCプログレスたちはリンクが弱い原因を全面的に天音に被せている。3話アバンで天音に以下の台詞を告げられた紗夜は特にその傾向が顕著。

「紗夜ちゃんならSRにだってEXRにだってなれるよ! 私がついてるもん!」

天音がいるから私は特別になれる、という紗夜のロジックのスタート地点がこの天音の一言である。

2話で天音が拷問めいた特訓をしている事実を知った後もなお、紗夜が頑なな態度を崩せなかったのは、単なる気まずさのみならず、今まである種の自己正当化を続けてきたことへの後ろめたさも大きいのだろう。
天音が努力を続けており一人前のαドライバーであることが知れれば「どうして自分は弱いのか→天音の意識が低いから、訓練を怠けているから」という、紗夜の論理の逃げ場は失われる。
自分が弱く、特別でもない現実を、紗夜は認めざるを得なくなる。
紗夜が自分を特別だと信じるためには、紗夜の中の天音は怠惰でなければならなかったのだ。だから知ろうともしなかった。2話でその身勝手な思いこみが宙ぶらりんになった紗夜を、美海は容赦なく刺し、抉る。

「だからふたりの絆は弱かった」
「だからリンクが弱かった」
「だからあなたは助かった」

続けざまに美海に急所を突かれ、ついに紗夜は決壊、激昂する。寿美菜子さんの悲痛な演技が冴え渡る一幕。最初は開き直りにも聞こえる「わかってる、そんなことわかってる!」から始まり、告白は暗く深く落ち沈んでいく。

「私は怖かったんだ、自分が特別じゃないって認めるのが」
「だから何かのせいにしたかった」
「それで天音のせいにしてた」

だが「だからもう逃げない」を底とし、徐々に台詞と劇伴が上を向き始める。天音に謝るために美海をここで倒す、と決断し叫び剣を振り上げた瞬間、劇伴も一気に盛り上がりサビへと突入する。

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呼吸も忘れるドライブ感。ここで使用される劇伴はハイクオリティな曲が揃い踏みな劇伴中、戦闘時のキー楽曲となっている。私が作中最も好きな曲でもある。
雷雨に煙り暗い画面の中、光り輝く剣を打ち下ろすさまはコントラストが効きめちゃくちゃカッコいい。
自身の犯した負を負として受け入れ、しかし膝をつくことなく前へと踏み出すのが『アンジュ』のクライマックスの醍醐味だが、ことこの3話ではギアチェンジが間を置かず一瞬のうちになされる。息つく間もなく感情を持っていかれ、どうしようもなく胸をうたれる。
台詞、画、演出、音楽がガチっと噛みあったバトルシーンである。
拗らせたプライドを打ち剥がされ、等身大の、ありのままの自分を認めた上で今度こそ正しく進もうとする蒼月紗夜……愛い……。

また、美海よりこの教えを叩き込まれた紗夜が、今後の話数ではチームのリーダー役を担い、彩城天音というチームの不在の中心を埋めるかのような動きを見せていく。

[他、印象に残ったシーン]

○即ち、闇堕ち!

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精神の暗黒化……即ち、闇堕ち! の概念が初登場するのも3話である(アニメ番宣PVでさえ闇堕ちについては伏せられている)。さんざっぱら作中特有の固有名詞を乱発した挙句「闇堕ち」だけは「闇堕ち」なのが可笑しい。しかし本作最重要要素でもある。
自身の身を前線に晒さず、将棋の駒のように敵の最大戦力を味方に取りこむ「闇堕ち」。ウロボロスの取った戦略としては勿論、作劇面でも妙手中の妙手である。
言葉を持たない怪物を人間が討伐していくのではなく、人間同士の戦い。それも因縁深い先輩と後輩が普段隠している、本音の感情の衝突をメインディッシュに据えるのだ。

「きっと本音が溢れちゃうってことよね。溜まってた気持ちが全部」(6話より)

洗脳ではないのがミソ。
この闇堕ちにより本作は4話以降、激エモ熱血百合(?)バトルの様相を呈していくこととなる。そして御影先輩の伝説も始まる。ぁあ^~力が漲る……闇の力……これが私の力!

○まるでミサイル療法だ

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『アンジュ』必殺の型のひとつ、なんか科学的っぽいふわふわ説明もこの回で導入される。ミサイル療法のくだりは作中随一のわかりづらさだが……つーかなんだこの絵……

○3話ラスト
『アンジュ』必殺の型のひとつ、闇堕ち風呂。
日向美海がやられたようだな……ククク、奴は闇堕ちプログレスの中でも最弱……


4-5話(黒の世界編) あなたの思う私、私が思った彼女

両想いの吸血鬼と魔女がすれ違い衝突する百合編。
前述した通り『アンジュ』はメインキャラ1人あたり基本2話分の尺を用いて、オムニバス形式でシナリオを進めている。こうした形式においてはいわゆる当番キャラとその周辺を描いていくのが常だが、本作の特色として、ほぼ必ず二種類の1対1にピントを合わせてキャラを描く点が挙げられる。
ひとつは先輩プログレスとの関係、そしてもうひとつは彩城天音との関係である。
天音との過去を通じてUCプログレスは己の欠点・疵瑕と向き合い、自分自身や先輩との間に生じている心的問題を突破する。この基本構造をベースに各物語は進展していくわけだが、これが最も活かされたのが黒の世界編だと思う。
また、ここで垣間見える当番キャラと天音の描写から、間接的に彩城天音というキャラの人間性について考察を深めていくのも楽しい。
2話で早々に封印され、人格面において謎に包まれた存在である彩城天音。彼女がどういう人間なのかを考えるとき、視聴者の思考は、紗夜たちが天音をわかろうとする動きと相似なのだ。

4-5話では、アルマリアが天音のお姉さんであろうとしたのは、自分にとっての姉役であるソフィーナに憧れた結果の振る舞いだったということが語られる。優れた対象の行動を取り入れる、典型的な同一視。

「天音はああ見えて、うーんと気が小さくて、うーんとおっちょこちょいで、うーんと甘えんぼうなんです。私がいてあげないとひとりじゃ何もできない、うーんとダメダメな子なんですから」

「アルマはしっかりしてるように見えて、うーんと気が小さくてうーんとおっちょこちょいでうーんと甘えんぼうだから。私がいないとひとりじゃ何もできない、うーんとダメダメな子だものね」

執拗な台詞の反復でアルマリアの身勝手さが炙り出される。アルマリアもまた紗夜同様、自分に都合のいい天音像を決めつけ、わかろうとはしなかったのだ(ここでも2話の言動が効いてくる)。

「天音は私を慕ってくれました。でも、それで救われていたのは私?」

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とはいえ5話の回想シーンを見る限りでは、ソフィーナの方を向いてしまうアルマリアに天音が寂しがり、甘えるような素振りを取っているのも事実だったりする。アルマリアの「うーんと~」の指摘は、その実そこまで間違っていないのだ。1話で紗夜が天音を評した言葉(自分がない、相手によって態度をころころ変える)があながち違わないように。
ここでアルマリアと天音の凹凸がはまってしまったのはアルマリアにとって不幸だったのかもしれない。アルマリアは天音が「自分を満たす天音」であることに満足し、そこで彼女への理解を止めてしまったのだから。

「あなた、私に近づきたかったんじゃないの?  私のこと好きだったんでしょう?  尊敬?  信頼?  友情?  それとも恋愛?  あなたに私の血をあげる。その代わり、私にあなたのすべてを頂戴!」

「そう、私は子どもでした。子どもだったから、背伸びをしていて。背伸びをして、大人のふりをしていて。天音を子どもだと思うことで、大人のふりをしていて。だって、あなたには敵わなかったから! でも、今は違う!」

クライマックスの舌戦においてソフィーナとアルマリアの言い分は噛みあわない。互いに言いたいことを投げあっているだけだ。それでいて「お前はこう在れ」というソフィーナと「私は今はこう在りたい」というアルマリアの感情の衝突はきちんと成立している。
この会話劇の熱量の凄まじさ、心を揺さぶるパワーといったらない。「ガンダムのテーマは相互不理解である」とは安彦良和氏が唱えた言だが、本作のテーマを脇に置くとしても『アンジュ』はそのところどころに実質ガンダムみたいな歯触りを感じられる。「闇堕ちのくせにィイイ!!(11話)」とか。

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「アルマリアは、天音を助けるんでしょう!? アルマリアは、天音のお姉さんなんでしょう!?」

力及ばず地に伏せたアルマリアを守りながら紗夜が力強く声がける。
これまた素晴らしい台詞。自分がソフィーナごっこをするべく天音に妹役を押しつけた「天音のお姉さん」――アルマリアにとっての負の言葉――が、同じような傷を抱える紗夜の叱咤によって鮮やかな変貌を遂げる。
姉を支えてくれた妹を助ける「天音のお姉さん」という正の言葉へと、180度の転換を迎える。

「あの人を越えるため。そして私は、自分を越えるため」

紗夜の言う「お姉さん」になるために、アルマリアは己の羞恥心を克己し、紗夜の血を吸う行為へと踏み出る。
それと同時に、アルマリアの好意を確信し、初めては自分の血を吸うだろうと自分に都合のいいアルマリア像を決めつけていたソフィーナは激昂。
このシーンのエモーションも強烈だ。私は内心「わーー!わーーー!!わーーーーー!!!」って叫びながら観ていた。アルマリアが「自分の想像上の天音」を捨て、本当の天音を理解しようと決意した時、彼女は人間の血を吸えない「ソフィーナの想像上の自分」をも踏み越え、己が弱さからの脱却を果たすのだ。
ソフィーナ-アルマリアとアルマリア-天音の関係性を十二分に生かし、双方の対比と逆転を効かせた非常に美しいシナリオと言える。少年誌的熱さと百合濃度の高さではこの黒の世界編がトップ。台詞の脂の乗りもイイ。

[他、印象に残ったシーン]

○4話アバン

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空から全裸の女の子with規制の光が降ってきた! と思ったら血の繭になっていた。初っぱなから画も展開も心底イカれきっていて脳がふたつに割れそうになる。
それにしても地上数十メートルから落下した天音に大丈夫ー? とか暢気に声かける蒼月紗夜である。空を飛べるエクシードは高さに対する危機感が薄れているのかとも考えたけどアルマリアはキレてますよね……

○軍人コント
4話よりこれも『アンジュ』必殺の型のひとつ、きわめて視聴者の脳にわるいサナギ姉妹の軍人コントが投入される。率直に言ってこの姉妹は作中屈指のイカレポンチである。このコーナーを楽しみに視聴していた人も多いのでは。
この軍人コントを筆頭に、本作はシリアスな展開の中で冗談めいた要素を配置して手触りが重くなりすぎないよう、随所で工夫がなされている。余裕のよっちゃんとか。触手エロとか。
1個しかないロシアンルーレットおにぎりにふたりで向かうことに対して誰もツッコまないのが『アンジュ』流。

○黒の世界の大いなる意志

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黒の世界の大いなる意志(通称:黒の世界の大いなる意志)。これも画ヅラが面白すぎる。4話は初の御影先輩in風呂withポン刀や先の軍人コントも含めて『アンジュ』の画面の楽しさがフルに発揮された回でもある。

○5話アバン

「でも、アルマリアも特別だよ。だって私、アルマリアのこと好きだもん!」

紗夜にも台詞後半の「どう特別なのか」を2話で言ってあげられていれば、多少は違っていたのかもしれない。また、この心からの「大好き」をアルマリアたちが天音に返すのが最終話の崖での一幕……なのかも?

ゾンビ映画を語る蒼月紗夜

「輸血パックは?」

紗夜の本質的なボケボケさが垣間見える一幕。あなたちゃんと話聞いてましたか?(2話の「無茶なメニュー? ここって学食?」とかもズレてるよなぁ……)
吸血行為に対する紗夜の、この理解のなさこそがかえってアルマリアにとっては余計なしがらみなく吸いやすいというプラスファクターとして作用しているようなのが絶妙な采配。


6-7話(赤の世界編) 相互不理解の先にある絆

「それはやっぱり、考えてることがテレパシーでピピーっと伝わるくらい、心と心が通じたら友達かなー」

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前半の区切りとなる重要な編。美海の台詞を端緒とする相互不理解の問題はこの6-7話で頂点を迎える。
友達とは何ぞや、を再定義する7話のアバンは象徴的だ。『アンジュ』のアバンはどれも最高だがこれが私的ベストアバン。
片手を上げた相手に対し、なんとなく応じようと思えたなら、友達。そこには互いへの深い理解も、共に居て心地良いかさえも必要とされていない。

赤の世界に向かったエルエルは先輩プログレス・レミエルの計略によって仲間たち4人と分断され、闇堕ちでレミエルの背に生えた黒い翼についてどう思うか問いかけられる。エルエルの対応はぎこちない。レミエルに「素敵って言って」と迫られ、彼女は仕方なく口を開く。

「うん、素敵だね、レミエルちゃん」

嘘の笑顔を取り繕うエルエル。
このときエルエルはレミエル本人でなく、レミエルと自分の関係性を見ている。本音を言って関係が悪化すること、友達でなくなってしまうことを恐れている。レミエルはそんな彼女を許さない。不用意な言葉を巧みに引き出し、エルエルを追い詰めていく。

「本当にきれい?」
「きれいだよ! とっても素敵!」
「本当に素敵?」
「素敵だよ! すごく輝いてて、羨ましいもの!」
「本当に羨ましい? ひとりじゃ飛べないのに!?」

勘所。エルエルが羨ましいと言うのはレミエルのエクシード・光の翼だが、それは片翼という障害を背負っているからこそ発現した能力である。誰にでもできる当たり前のことが片翼の自分にはできない、そう語るレミエルのコンプレックスは身体障害者のそれに等しい。
(私の想像でしかないため不適切な例えかもしれないが)ドロドロとした鬱屈を抱えたまま車いすバスケで高速プレイをきめているプレイヤーAに、同じコートに立つ健常者のプレイヤーBが羨ましいと告げるようなものだろうか。

「私が楽しかったんじゃなくて、エルエルちゃんが楽しそうにしているのが楽しかったのかも。いいよね、きれいな翼を持っていて。私は片方だけ」

ブルーミングバトル(戦闘訓練)のたびにレミエルが誰にも打明けられない鬱積を溜めていたのであろうことは想像に難くない。
無邪気にエクシードを羨ましいと語るエルエルの言葉は嘘ではなく本物だ。だからこそ、両翼を持ったエルエルに羨ましがられるのはつらかったのだとレミエルは吐露する。

「この翼を手に入れて、ひとりで飛べるようになって、あなたの嘘に気付いたの」
「私、嘘なんか言ってないよ!」
「ええ、あなたは嘘は言ってないわ。あなたの存在が嘘だったのよ! 誰にでも馴れ馴れしくて、誰とでも仲良くなって、勝手に心の中にずけずけと踏み込んで誰とでも友達になる! そんなあなたの存在そのものが嘘の塊なの」

問答の果て、レミエルはエルエルの存在そのものが嘘だと切り捨てる。言動すべてが相手に合わせただけの、上っ面で自分がない人間と言い換えてもいいかもしれない(7話でレミエルはエルエルの交友を「友達ごっこ」だと唾棄している)。
この後自分を倒せと語るレミエルの声音と表情の端々には強烈な自己嫌悪がちらつく。こんな自分を倒してほしいというのもまた、レミエルの本心なのだろう。

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エールフレンドの解除は2話での天音とのリンク解除を思い起こさせる演出。ここでのピンチをアルマリアのエクシードで乗り切ってしまうのが本当にこちらの精神にキツい。エルエルが泣きじゃくるラストは豊崎愛生さんの名演も相まり、本作屈指のつらい場面である。

一時撤退したエルエルたち5人。紗夜は消沈したエルエルを励ますべく声をかける。
レミエルが自分を嫌って(も)いた事実を知り、また自身の社交性自体が他人に合わせただけの嘘っぱちの態度だと謗られ、エルエルは自分が結んだ友人関係すべてを信じられなくなってしまっている。

「そんなことない! エルエルは大事な仲間よ」
「そうだよね、チームだもんね、仲良くしないと任務に影響するから仕方ないよね」
「違う! エルエルは仲間だし、友達だよ!」

ここで紗夜の口癖「仲間」についても言及される。とても間口が広く、使いようによっては非常に薄っぺらく響く言葉でもある。仲間とは? 仲間だから仲良くするのか? この問いかけは形を変えて白の世界編、9話でも反復される。

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エールフレンド・チェインルミナス。ふたりが友達であることの証左となる。エルエルが紗夜を友達だと信じ、自分も紗夜に友達と思われていると心から信じられた時、それは初めて発現する。
ここでの紗夜はエルエルを十全に理解しておらず、エルエルもまた同様である。それでもエールフレンドを使えた。友達とはどういうものかを象徴するこの事実が、今後エルエルの背中を支える大きな力となる。
レミエルのことをわかれなかったと自嘲するエルエルに、紗夜は自分も天音に対して同じだったと告げる。そして「わかることでなくわかろうとすることが大事」という3話での美海の言葉が、紗夜の口を通してエルエルに届く。

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「天音ちゃんはいつもはっきりともの言いすぎ! そんなだといつかケンカになっちゃうよ?」
「ありがとう」
「え?」
「エルエルちゃんも、はっきり言ってくれてありがとう」

また、ここで天音とレミエルの過去も描かれる。回想風呂。出会ったばかりの頃はエルエルもレミエルに翼の話はタブーとしていたのだ。それを1話での態度にまで変えたのは天音であった。(1話では自分から翼の話をふっているあたり、レミエルの業も深いのだが……それにしても片翼コンプレックスのレミエルに「翼がなくても天音はきれい」と言わせる脚本の剛腕には唸るばかり)

紗夜と友達でいられた事実、美海の言葉、天音の在り様。この三要素を柱とし、エルエルは再度レミエルの元へ踏み出す。その前に仲間たち4人とハイタッチを交わし、やっぱり友達であることも再確認。ここでも私はうるっとくる。この場面では明確な証明となるエールフレンドは使用されないのだ……。
そして4人に助けられエルエルはレミエルの待つ最下階へと着くのだけれど、ここからはふたりの会話劇を引き立てるべくしばらくBGMも無音となる。以後のふたりの台詞は脚本上一分の無駄もなく研ぎ澄まされており、一言たりとも聞き逃せない。ディスコミュニケーションと美海の言葉を本作の軸と捉えるならば、このシーンは『アンジュ』という作品の前半部クライマックスと言えるのではないだろうか。

「闇堕ちで手に入れた翼なんてちっともすごくない! 片翼でもレミエルちゃんはきれいだった!」
「それはあなたが両翼を持っているから言えるの。本当の私の気持ちはあなたにはわからない!」

エルエルも6話のときのような嘘は止め、レミエルと本音をぶつけあう。持つものと持たざるものの違い、身体的格差という致命的な断絶が改めて浮き彫りになり、両者の相互不理解もここに極まる。真骨頂はここからだ。

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そうだよ! きっと私にはわからない。でもわかりたい! だって、友達だから!」

エルエルはレミエルの苦悩がわからず、また完全にはわかり得ないとまで認める。そして、それでもわかりたい、とも。

「片翼でもレミエルちゃんのことが好き!」
「嘘!」
「片翼でもいつも笑顔で、光の翼を広げるとすごく幸せそうで、時々いじけてるときもあるけど、それでも頑張ってるレミエルちゃんのことが大好き!」
「……」
「だけど、翼のことばかり気にしてるレミエルちゃんは嫌。大嫌い!」

エルエルはお互いへの正しい理解にほんの一歩でも近づくために、まず自分が今レミエルをどう思っているかを、好きも嫌いもひっくるめてあけすけなく本心で伝えていく。

「仕方ないでしょ……だって、ずっと憧れてたのよ!」
「私、翼なんてどっちでもいいもん! レミエルちゃんでいてくれたらそんなの関係ないもん!!」

これもレミエルの核心を貫く。レミエルにとって片翼は自身と切っても切り離せない負の源泉だ。片翼である事実とレミエルという人格を分離することなどできない。「そんなの関係ない」のはあくまでエルエルのお話である。片翼に対するふたりの認識に、ここで更に埋めようのない隔絶が生じる。

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「だから、あたしの大好きなレミエルを返して!」

エルエルが返してほしいと叫ぶのは「私の大好きなレミエル」である。先にエルエル自身が語らった、1話ではエルエルの前で片翼を気にしていないと気丈に振舞った、そんなレミエルである。
エルエルはレミエルの抱える痛みを把握した。それでも翼のことばかり気にするレミエルではあってほしくないと、闇堕ち――感情が増幅し、本音が溢れ出る――の状態であってほしくないと、そう呼びかけているのだ。半ば押しつけといって相違ない。

「エルエルちゃんどうしていつもそんなにはっきり言うの」
「わからない。でも伝えたいの」
「それがあなたの嫌いなところ。だけど、それがあなたの好きなところ」

誰とでも仲良くなりたいと願い、なんでもはっきりと言う。翼に固執するレミエルは嫌いだと、あなたの翼の有無などどうでもいいと、そして光の翼が羨ましいと、そんなことまで率直に伝えられる。そのようなエルエルだからこそレミエルは彼女を嫌いであり、好きなのだ。

白の世界編はエルエルが友人・レミエルのことを本気で理解しようと姿勢を正す話であり、その上である種のエゴを押しつける話でもあり、同時にレミエルが友人・エルエルに十分に理解してもらうことを、少しだけ諦めるお話でもある。
彼女たちはやはり(少なくともこの時点では)わかりあえてはいないのだ。それでも絆は結び直され、エールフレンドも蘇る。ふたりは7話のサブタイトルが示す「本当の友達」となる。

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「ずっと、友達だよ」

そして私は少し泣く。

 

[他、印象に残ったシーン]

○アルマリアのクソムーブ

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アルマって呼んでマリア。それでは吸ってもいいですか?
たぶんこれも必殺の型。以後、何私の紗夜にちょっかい出しマリア、紗夜の背中は私だけが流しマリア、私が浮気だと思ったラインから全部黒マリアなどが発射される。独占欲強い三股女とかホントどうしようもないな……

聖闘士星矢
シーンではないが記載しておこう。白の世界編はちょこちょこ『聖闘士星矢 黄金十二宮』のパロディ要素が散りばめられているような。4話のアナザーディメンションとかチェインルミナスのネビュラチェーンとか宮殿降りる際のここは俺に任せて先に行けとか。壁や床に無数のエルエルちゃんの顔が浮かんでれば完璧だった(??)。


8-9話(白の世界編) 誰かを愛しく想える理由

白の世界編はこれまでとは少し毛色が変わり、3話での美海の言葉を直接的なテーマとして取りあげることはない。先輩プログレスであるカレン・セニアとステラの関係も描写薄めだ。
お話のベースは二軸ある。ひとつは天音とステラの擬似母子間における利用価値と親愛(条件付愛情か否か)のお話、もうひとつは相互理解問題の変形、人格の融合の是非について。
この編は2話にかけてそれぞれの軸が並行し、時に絡みあい進んでいくのだが、ここではまず物語の本筋となる、ステラの話から書いていくこととする。

「リンクすることで自分はエクシードが増幅する。天音は戦況を有利に進められる。お互いがお互いの役に立つツール。だから必要」

ステラは過去、命令を無視して天音に叩かれた出来事をきっかけに、自分が大切にされていたのは利用価値があるからに過ぎず、他の人間もまた同様であるという絶望を抱いている。利用価値抜きに自分が愛される、大事にされている可能性を全く信じられなくなっている。
さらに、自分がそういうふうに他人を大切に想うことさえ(思考の上では)できなくなっている。利用価値抜きの親愛自体があり得ないと信じこんでしまっているのだ。

「根拠に乏しい。利害関係だけでも仲間は成立する。」

「天音はステラを大切だと思っていた。なぜなら仲間だから」と告げる紗夜への返答は冷ややかでロジカルだ。生まれてからまだ間もない幼子であり、情緒が未成熟なステラは起こった事象を徹底的に縦に捉える。叩かれた事実に対して後に語られる「天音は命令を聞く道具を求めていた」という台詞が最たるものだろう。他の白の世界のプログレスたちと異なり、きわめてアンドロイド然とした態度である。

世界水晶への出撃前にも、紗夜の語る「仲間」の含意をステラは切り詰めていく。

「大切な仲間だよ」
「理解しがたい。利用価値が高いという意味での大切なら理解する」

そしてUCプログレス4人も天音も、もちろん自分も道具に過ぎないと語ったステラを紗夜は叩き、涙を流す。
(でも7話ではステラもエルエルのハイタッチに応じていたりする。この事実を顧みた上でステラの心情や思考、価値観を追ってみるのも面白い)

「なぜ泣くの」
「ステラがそんな悲しいこと言うから! 道具だって思っていたら、怒ったり泣いたりしない! 大切な仲間だと思っているからこそ、腹が立つの、悲しいの! 天音だってそう! 天音だって、ステラを道具だと思ってないよ」
「最初は自分もそう思っていた。でも違った」

紗夜は「大切な仲間だから感情が揺れるのだ」と、利害が一致するだけのドライな関係でないことを強調する。赤の世界編で「仲間だから仲良くしないといけないよね?」に「仲間だし友達だ」と返したことのちょっとしたリフレイン。

「天音は、命令を聞く道具を求めていた。自分は天音にとって利用できる――」

紗夜が叩いたこの時点でもなお、天音に対するステラの考えは変わらない。

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ステラは天音と共に夕色に染まる海上を飛んだ過去を思い出す。空を飛び楽しむ道具として利用価値を感じたから天音は自分を大切にした……天音との楽しかった思い出は、今やステラのそんな思いこみを補強してしまう重石となっていた。
このあたり、片翼という境遇を背負うレミエルと若干切り口が似ている。ステラが道具として作られたのは紛れもない事実であり、これもまた彼女からは切り離せない属性なのだ。ステラの思考と結論はその生い立ちから鑑みてもごく自然な成り行きであるといえる。
ただし、絶対的に片翼であるレミエルと異なるのは、使い手=道具として扱う者がいなければ道具は道具たり得ない点にある。
現に「ユーザー」という呼称を天音は8話冒頭で否定している。天音はステラの「ママ」である。
そして紗夜とエルエルはそれぞれ、ステラを仲間、友達だと告げる。このときステラは、少なくとも紗夜たちは自分を利用価値抜きで大切に思っている、と信じられるようになったのではないか。

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「天音が泣いている。さっきの紗夜と同じ。それじゃ、天音が泣いたの、ステラのこと大切だから?」

カレンニアに撃墜されたステラはメモリの損傷により、天音に叩かれたときの記憶を再生する。泣いていた天音を紗夜と重ね、天音も紗夜と同様に自分を道具としてではなく(=利用価値抜きで)大切だったのか、と思い至る。

「でも、自分が大切なのはスピード。誰よりも速く。誰よりも。でも、自分は、どうしてスピードが? どうして、どうして」

ここで8話での出撃前のお風呂シーンを思い返してみると、ステラは戦いに有利だから速さを求めるのではないと発言している。このときには「速くなりたい。ただ、それだけ」と理由については語られない。初見では加速のエクシードを持つ彼女が機能に傾倒しただけのように聞こえるが、次の回想シーンによりステラ自身も気付いていなかった、気付けなくなっていた真意が明らかになる。

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「そうだ、ママが。天音が笑ってくれるから」

ステラが速さを求めたのは、ひとえに天音が大切だったからだ。大切な人の笑顔が好きだからだ。叩かれる前の時期のみならず、速さを求め続けている今もなお。
ここに至りステラは、自分もまた天音に対して利用価値抜きの親愛の情をずっと持ち続けていたことに気付く。

「自分の、大切なもの」

ステラは天音に大切に想われており、ステラも天音を大切に想っていた。ステラが向けられ、そして向けてもいた両方のベクトルの「大切」から、利用価値という外付けの理由が取り払われる。
そして天音を本当に「大切」だと想うから、ステラは今一度飛翔し、加速する。

カレンニアを制し、ユーフィリアに感謝された後、ステラもまた涙を流す。

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夕焼け空を飛んだ日の天音の笑顔が、自身の利用価値に対しての感情ではなかったのだと信じられるようになり、ステラは「また飛ぼう」と言えるようになる。あの日感じた幸福は決して重石などではなく、本物の幸福だったのだと確信でき、互いが互いを「大切」なのだと思えたことの嬉しさが、ようやくステラの心に落ちてくる。紗夜や天音がステラを道具ではないと思っていることの証明とした「涙」という形が、今度はステラの両目に結ばれる。赤の世界編ラスト・レミエルとのエールフレンド復活と肩を並べる、本作トップクラスの名シーン。
ステラという情緒に疎いアンドロイド、まさしく道具として作られたキャラクターが、いわゆる無償の愛の理解に至れるよう見事にロジックが組み立てられた、しなやかで叙情的な編だった。

……なんだかここまででえらく長くなってしまったが、カレン・セニアの人格の融合の是非についても軽く触れておこう。
さて、ディスコミュニケーションの問題において「相互理解は無理かもしれないけどそれでも絆を結ぶことはできる」という結論が7話において提示されたが、今回はそこから一歩引いて「どうしてもお互い理解しあえないなら同一の人格になればいいのでは?」という提案がなされる。

「でもあなたは、αドライバーとの絆が弱かった。それは、あなたと彼女がひとつの個体ではなかったから。同一の存在ではないから。別々の人格だから。 ひとつになればすべてを理解、共有できる。そして許し、認めあえる。これが、究極の絆」

わかりあえるに越したことはない。ある種の諦観を伴った前者の結論を出した後だからこそ意義のある、電脳世界という世界観を生かした大胆なアプローチだ。
あなたも融合しようというカレンニアの提案にステラの返答は「そんなのおかしい」だが、明確な理由は描かれない。8話ラストを見る限り多少心揺れた部分もあるのではないだろうか。
しかしこれは作中ではっきりと否定される。

「どんなに好きでも私になってしまっては嬉しくありません。セニアは、私ではなくセニアだからこそ美しいのでございます」(10話より)

台詞の通りである。わかりあいたい相手の人格そのものを奪いなくすという点で融合は相互理解の放棄なのだが、それに加え、そもそも相手が他人だからこそ人は人を愛しくなるし、わかりあいたいと思うのだとしている。
また、カレンニアとステラのレース自体が暗に融合を否定する文脈で描かれている。互いを大切に想いあったからカレンニアは最後の最後で加速しきれず、天音を大切だと想えたからステラはさらに加速できた。両面性のある決着が美しい。

[他、印象に残ったシーン]

朝チュン

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その頃サナギ姉妹はしっぽり肉体関係を結んでいた。おかわりもあるぞ!
ふたりでなければエッチもできない、なんだか本編を暗喩し皮肉っているような内容である。これを観てひょっとして軍人コントは『少女革命ウテナ』でいうところの影絵少女なんじゃないかと他の回を見返してみたけどたぶんんなこたあないと思う。

○カレンニア

フュージョン(作中名称:フュージョン)。

○無限大の半分の距離
ダメ……私の頭ではさっぱりわかりません……(解:不定とか言ってはいけない

○むくれるステラ ※第2話風呂シーン

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せっかくなので(というか私が好きな場面なので)2話でのステラの言動も引っ張り出しとこう。お姉さんぶって天音にすりすりするアルマリアに咳払いするステラはやきもち焼いてるみたいでえらいかわいらしい。9話アバンでカレン・セニア姉妹のじゃれあいを見た天音とステラの一幕を経由した後で見てみると、なんとも微笑ましく感じられるシーンである。
その後の「任務に必要なツール同士、天音がリンクを怠ると自分は性能を発揮できない」という台詞も天音への皮肉めいている。
こういうロングパスの心情描写がやたらと多く、2周3周したくなる、そして観るたび面白さを発見できるのも『アンジュ』の大きな魅力である。

(※追補)
全体を貫く相互不理解の流れからは浮いているように思えるステラの問題は、想いのベクトルを向ける・向けられる、それらを信じられるという要素に着目したとき、最終編へ有機的につながってくる……のだと思う。


10話(緑の世界編) 型破り/天音と命令、紗夜と仲間

「型があるから型破り、型がなければそれは型なし」という格言がある。型破りが型破りとして大きな威力を発揮するのは、主体の型がガッチリ固まっている時だ。いくつかの型に沿った展開はほしいものが必ず来るという独特の安心感と油断を生む。そしてそれが巧く破られたとき、油断は衝撃に変じ、受け手に対して想像を遥かに越えるダメージをもたらす。

これまでも何度か述べてきたが『アンジュ』はいくつかの強固な型を以って作劇されているアニメである。
アバンでの彩城天音との出会いor天音と入浴しながらの語らい、決して省略されることのない冒頭のクソ長世界観説明、敵と味方の風呂シーン、軍人コント、敗北脱衣、御影葵の言動全般、各世界攻略後のエピローグ。
上記の構成はほぼ毎話/毎編において一貫しており(たまに「なんか科学的っぽいふわふわ説明」なども入る)、ともすればマンネリ感が生じそうな手法でもあるのだが、ネタのバリエーションやシーンを挿入するタイミングの差し替えによって退屈になるのを防いでいる。特に闇堕ち勢の風呂と軍人コントの2大笑い要素は視聴者が気を抜いた瞬間ふいに挿しこまれるパターンが多い。

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これらの中でも本編から隔離されていた(隔離という表現が一番相応しいでしょう……)、最もブレのない型である軍人コントが本編に侵食してくるのが10話である。コーナーとしてのコントはなくなったが青の世界での防衛戦全体がひとつのコントにされた錯覚。尺も1人2話完結だったこれまでと異なり1話完結となっている。何重にも型を破ることにより逆にまとまり良く感じられる、インパクトと完成度を両立した凄まじい話数である。

「仲間を作るからいざという時つらくなる。命令に従うからつらいこともしなければならない。ばれてたんだろうなあ。天音はわかってたんだ、私のこと」

カタン姉妹はさて置いて。『アンジュ』は前半1話を問題提起、後半1話をその解決に宛ててメインとなるプログレスの個別編を描いてきたわけだが、ナイアはこれまでの道程で既に自身の問題点に気付いており、自ら上の台詞で①仲間②命令の二点にきれいにまとめている。ひとりだけ尺が短いのは問題提起が済んでいるからだ。
②の命令に関しては、アバンでの天音の対応が印象的に映る。

「面倒くさいんだ。命令するのもされるのも」
「ふーん。じゃあ、『お願い』」

命令に従いアインスを見捨てた一件以降、命令する・されることを厭うようになったナイアの傷を天音は柔らかく認めている。2話までの描写を見ても天音はナイアにだけは決して命令していない。ただ、ナイアなら(取るべき行動が)わかるよね、と促している。
(余談だが、天音はプログレスの悩み苦しみに「あなたのここが問題だから直そう!」というような否定をせず(あるいは単に気付けず)、どこまでも優しく受容する。それが結果として各人の問題を悪化させている節もあるが……。)

3話から9話までの流れを経て、UCの仲間たちが問題を克服した事実、そして指揮官として天音がいかに優秀だったかを再確認し、自分もこのままではダメだと決意するナイア。指揮官を降りた自分自身と、優れた天音を重ねてもいたのだろうか。
単身緑の世界に乗りこみ、アインスも含めて皆を救うと宣言するナイアは①仲間を作ることへの恐怖も吹っ切っている。

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窮地に追いこまれアヴェンジェリアが起動した際、ナイアはアインスに逃げろと命令(お願いではなく命令!)し、かつて見捨てたことを謝り、今度は大爆発から守りきる。今までナイアを苛んできた様々な過去の清算となっている。
「本気の半分だ」は火力と尺のダブルミーニング

トンチキ姉妹が出張った影響もあってナイアの問題はあっさり目な解決を見せているが、他編とのバランスを取るためか、緑の世界編は11話のエピローグが割と描写多めに仕上がっている。読み取る余地も結構大きい。

「ナイアの声、最後まで探してくれていたの、聴こえてた。今まで言えなかった。ごめんね」
「アインス……」
「だから、気にしないで」
「気にしてないさ」
「また遊んで。本気で」
「やだ。めんどくさい」

事件後の改造で性格が変貌し、闇堕ちでさらなる破壊衝動が引き出され、ナイアに「闇堕ちで逆戻りか」とまで言わしめた強化人間のアインスが、闇堕ちが解けた結果逆に本音の「ごめんね」を伝えられたという……初めて見せる涙と涙声も相まってかなりグッとくる場面である。佐倉綾音さんが声を震わせるたびこの人ホント泣き演技巧いなと思う。
最後の「めんどくさい」については、私は最初ナイアさんそこは本気出してあげるところでは? と感じてしまい釈然としなかったのだが、「アインスは自分の一件のせいでナイアが面倒くさがりになってしまったと感じており、そのため一度でも本気を出してほしかった」と仮定するとすんなりと意味が通る。
ナイアはアインスの誘いに対し、本当に気にしていないことを表明するために
「(本気を出すのが億劫なのはアインスの件とは関係ない私の地の性格だから、和解しようがしまいが)やだよ、面倒くさい」
と答えた、と解釈できる。穿ちすぎかもしれないけど。

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「だって私たちは」
「うん、仲間だよ」

11話のお風呂シーンもすごくいい。ナイアは5人の中でも成熟しており、一歩引いた立ち位置から紗夜たち4人を見守ってきたが、それゆえに独特の距離感もあった。紗夜ハーレムへの参入こそないにせよ、このシーンでのナイアにはそういった距離は見受けられない。以前は仲間を作るのが嫌になっていたナイアが、今は紗夜の仲間であることを認めている。
全員に絆が巡ったこの終盤で、ナイアの問題のひとつを紗夜の口癖の「仲間」が回収する流れはきれい。5人が完全に仲間になったのだと実感できる瞬間。

[他、印象に残ったシーン]

○サナギ姉妹脱衣(デデデデーン↓)
……それにしてもこの回はとにかく敗北脱衣が暴虐すぎる。作中最大の衝撃としてこの脱衣と11話の口笛が双璧を成す。両方文字通り失神しかけた。7話の闇堕ちプログレスでも同様の脱衣現象があるからプロならこの展開も読めただろうがそんなプロにはなりたくない。
風呂場への強襲作戦というのは現実的に考えても効果覿面なのが悔しい。

○光の水着
規制の光を脱ごうとするアニメといえば『えとたま』が記憶に新しいが、光を着て大事な部分を隠すアニメはちょっと他に例を知らない。


11-12話(青の世界編・2) それだけで私は、私になる

最終編。紗夜が「特別」の呪縛を脱ぎ捨て、誰でもない私になるお話。
他編以上に直球勝負の、描かれている通りのお話なのでここにつらつら書き連ねる意味はあるのだろうか、と思いつつ。

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「私だけじゃ、ない……?」

「私、特別、だよね……」

天音の仲良しは自分だけだと思っていた紗夜が、他のプログレスと仲睦まじくしている天音を見て軽いショックを受けるアバン。島に来て初めて紗夜が味わった「自分は特別でない」という自覚が天音からのものだったというのが切ない。
「プレイヤー(=αドライバー)がプログレスを選択しデッキを組む」というゲームシステムを見事に作劇に組みこんでいるのも気が利いてる。

胸の痛いアバンが終わって本編。天音が封じられた次元断層の前で想いを吐露する紗夜の前に葵が現れ、同時にウロボロスの決戦兵器・アビスが起動。紗夜は葵と戦闘になる。
「特別になりたいと思っているうちは特別になどなれない」という葵の禅問答めいた言い様は3話の美海の「努力している人間は努力しているとは言わない」を彷彿とさせる。結果としてこの言葉通りのゴールへ紗夜が辿り着くのは皮肉というか巧妙というか……。
天音のチームに入隊した日を思い出し、自分は「世界の特別」でも「天音の特別」でもない、だから特別じゃないと涙ぐむ紗夜を、UCの仲間がそれぞれ否定する。紗夜はアルマリアの、エルエルの、ステラの、ナイアの特別であると。
一方で葵はそんな仲良しごっこに意味はないと断じる。
葵と紗夜のコンプレックスは似ており、自分の才能・クラスへの無力感と、より大きな才能・高いクラスへの羨望、嫉妬である(剣戟前の「闇堕ちのくせにィイイ!!」はそれを踏まえると味わい深い台詞)。美海を越えた存在という「世界の特別」になるために真摯に研鑽を積んできた葵にとって、紗夜のように「世界の特別」を「誰かの特別」で代替して埋める行為などただの甘えに他ならない。

怒れる葵を止めるのは紗夜の憧れ、葵にとっては当のコンプレックスの源である、復活した日向美海。

「みんな誰かの特別なんだ!」

言葉にすればベタな結論だ。だが、姉妹、友達、母娘、指揮官-部下と関係性を散らし、様々な「誰かの特別」、絆が結ばれるまでのプロセスを描いてきたこのアニメだからこその含蓄がある。
美海はその「誰かの特別」こそが、プログレスを強くする「絆」だとする。

……私はこの美海の台詞で、紗夜の「特別」問題はカタがついたと思ってしまい、最終話何するんだろうなあ~と緊張しながらもたぶんどこかで弛緩していた。未消化の要素を拾うくらいだろう、と。
しかし本作の主人公・紗夜はこの「みんな誰かの特別」を受け身の結論に留めない。結局自分が「特別」になるには他者からの承認が必須なのか? このベクトルを反転し、さらに一歩先の答えに踏みこむのが最終話『私は、あなたと進化する――』である。

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「天音を助けなきゃ!」

再び闇堕ちした美海を前に、活性化したアビスを見上げての紗夜の言葉。3話冒頭の再演だが、同じ台詞でも意志の変化が見て取れるようである。敵に押されて司令室の面々まで前線に出張ってくるのが総力戦の様相を呈し非常にアツい。
ミハイルが用意したリバースリンク接続装置によって紗夜たちは天音の精神世界に入り、心を閉ざした彼女との対話を試みる。そして紗夜は天音の深い孤独に触れる。

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「私には、仲間なんていない。私はひとりぼっち。ずっとずっとひとりぼっち」

「でも孤独だった。私はたくさんの人の中にいても孤独だった。いつでもそう。どこでもそう。いろんな人がいて、いろんな話をして、でもみんな自分のことばかり。私のことは、どうでもいい」

「みんなと楽しい話をしても、私の気持ちは置いてけぼり。笑顔を作ってもうわべだけ。私がいなくても、誰も気にしない」

チームのみんなのこともわからなかったと漏らす天音と、反論する紗夜。会話時の無音の演出は7話終盤を思い起こさせる。

「天音はみんなのことわかってたよ。何よりわかろうとしてくれた。それだけで十分だった。私が弱かったのが悪いの」
「でも私は、その弱さをわかってあげられなかった。それで紗夜ちゃんを苦しめた」

8話・赤の世界編エピローグでエルエルとレミエルが交わした会話の、変奏した続きとも言えるかも。
天音の言うように紗夜たちの弱さまですべて理解してやれたのなら、恐らく彼女らが抱える問題は物語開始前に解決していたのだろう。そうはならず、水面下に爆弾を抱えた状態で6人はゆるゆると続いていた。1話ラストで紗夜の爆弾が維持しきれずとうとう爆発した結果が、この現状にまでつながっている。
紗夜はそこまでわからなくていいと断言し、それでも相互理解を諦めないことこそが大切なのだと語る。

「わかりたいと願っていれば、たとえそのとき理解ができなくても、いつか必ずわかりあえる。たとえすれ違ったって必ず戻れる。わからないからって諦めちゃいけないんだ」

そして自分たちが天音をどう大切に想っているかを順番に伝えていく。11話で4人が種々の気持ちを紗夜に伸ばしたのと同様、今度は紗夜を含めた5人の気持ちをそれぞれ天音へと伸ばす形。
自分を支えてくれる妹、なんでも言いあえる親友、大切なママ、良い指揮官、紗夜が信じている存在。どれも本編で各々が自分の問題を解決できた故の認識である。
みんな天音のことが大好きなのだと飾りのない想いをぶつけたとき、天音の肩が初めて揺らぐ。天音は大切な存在だ、孤独になどさせないと伝えていく紗夜。世界を守る使命を背負ったプログレスが「世界が全部敵に回っても私は天音の味方だ」と宣言するのだ。この上なく重い言葉である。

天音は孤独から解き放たれ、エクシードリンクはより強く結び直される。絆が蘇るとともにレベルキャップ解除とばかりにプログレスたちは進化。美海を撃破し、他の先輩プログレスたちも復帰。どうでもいいがこのあたりで既に私は最高以外の感情を失っている。

「紗夜ちゃん」
「わかってるって!」

ここで1話アバンに戻ってくる……! 紗夜は以前のような苛立ちを見せることはなくむしろ嬉しげで、天音の確認も一言だけ。最高。
1話アバンを遡るように雲海を抜けるカットから、紗夜の独白が流れ出す。
特別になりたい→特別になれない→「世界の特別」にはなれずとも「誰か(アルマリアたち)の特別」にはなれた、という道のりを歩んできた紗夜が、全編を経た上での大きな気付きを得て、あるひとつの境地に至る。

「私は、特別になりたかった。自分がなくて、自分が見つからなくて、みんなが特別だって憧れる、そんな自分になりたかった。でもそれは、意味のない夢だった」

「探しても自分は見つからないんだ。天音もそうだった。自分のことは見えていなかった」

美海から与えられた回答を元に、紗夜自身の答えに辿り着く。

「ただ、まっすぐで。ただ一生懸命で。ただ負けないで、ただ挫けないで、ただ純粋に。大切な人のことをわかろうとするだけで、それだけでいい。それだけで私は、私になる」

「それが誰でもない私。それが本当の『特別』」

皆に憧れられる「世界の特別」でも、他者に想われる「誰かの特別」でもない。
人から気持ちを向けられるこれらとは異なる、自分自身が人をわかろうとする・気持ちを向けることで得られる「特別」。
自分の目で自分を探すのでなく、他者をわかろうとする視座を持つことで、観測者たる自己を逆説的に確立する。すぐ傍にいる大切な人に、独自の感情・関係性で手を伸ばすことのできる存在。ひいては天音や他の誰かを「紗夜の特別」にできる者。だから紗夜自身も他者をわかろうとしたとき「特別」になれるのだと。

「そう、私はプログレス、蒼月紗夜。私が私であることが、最大の可能性なんだ!」

大切な人に自分だけの手を伸ばせる、他の誰でもない私であるということ。
その事実への肯定に至り、紗夜は「特別」の呪いから脱する。

本編は天音と紗夜たちが互いに相手を迎え入れる言葉によって締め括られる。

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「おかえり!」
「「「「「おかえり!」」」」」

天音の「おかえり」に対する紗夜たちの返事は定型の「ただいま」ではない。
自分を受け容れてくれる・わかろうとしてくれる居場所=天音があって嬉しい、ではなく。天音が受け容れられる・わかろうとしてもらえる居場所に、自分たちが変わろうとしている。
それはプログレスからαドライバーへとリンクを逆につなげたような、崖で天音へ手を伸ばしたような、受け身ではない自発の姿勢だ。
自分たちは今度こそ天音のことをわかろうと頑張る。もちろん孤独になどしない。その姿勢を暗に示すはじまりの言葉を告げて、紗夜たちはようやく天音と真に対等な関係を結ぶ。
本当に、これ以上はない素晴らしい〆だろう。

 

[他、印象に残ったシーン]

○口笛

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♪~。口笛である。メロディはクソ長世界観説明の。EXR御影葵の闇堕ちクソムーブここに極まれり。ちょっとありえないぐらい笑える。監督直々の曲指定らしい。

○最終話世界観説明

「そして、プログレスを導く大切な存在、αドライバー。私たちは取り戻す。大切な絆を。この世界を、終わりから救うために!」

最後にして最高の型破り。ちょっとした口上の変化が紗夜の変化を何より引き立てる。世界観説明自体が御影先輩の↑の口笛ですっかりギャグに成り果てたと思ったのに……参った。熱い。

○夢を繋いで!ドリームキャスト

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SEGAアニメの面目躍如。インターネット接続可能だからリンク機材に選ばれたのだと思う。前のめりに挑戦的な姿勢で一部のコアユーザーに愛された10年早いハードウェア、なんかこのアニメみたいですね……。

○「いいね」

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Cパート。孤独の底に佇む天音にまだ見ぬ誰かがそっと与えてくれていた、あなたのことを見ていますよ、というサイン。
それは天音本人を向いたものでなく、単に天音が撮ったイルミネーションの美しさに向けられた「いいね」かもしれない。けれどきっとそんな薄っすらとした承認すら、いつか絆を結べるかもしれない可能性ではないかな、と信じたい。
胸にスッと入ってくる、『アンジュ』らしい透明感あるラストシーン。


全話通しての雑感

総じて「言葉」が強い作品である。
シンプルな、ときに陳腐にさえ聴こえる台詞に渾身のニュアンスを籠めてくる。
1話アバンの紗夜のモノローグ、青蘭学園入学前の回想、「ないよ。次なんてない!」。初めて1話を観て琴線に触れたのがその三点だ。他は先に触れた通りつらかった。そりゃもうびっくりするくらいつらかった。何せ何も見えないのだ。湯煙で、規制の光で、登場人物の異様な多さで。
それでも頑張って2話まで観た。せっかくだから3話まで観た。美海戦で感受性をぶち抜かれた。気付けば公式サイトで必死にキャラの顔と名前を覚えていた。前クールのアニメ『ハイスクール・フリート』で全然覚えられなかったことへの後悔をぶつけていたかもしれない(ならはいふりのキャラ覚えろよ、というのはさて置き)。
等身大の悩みを克己していく少女たちの物語。3話まで観た時点で私が『アンジュ』に対して身勝手にも求めたのがこれだ。結果としてその欲求は十二分に叶えられたし、それだけにも留まらなかった。
こうしたドラマに負けないほどに、コメディ要素も素晴らしかったのだ。コントも闇堕ちも細かな会話も、脳がふたつに割れるほどに。
シリアスと冗談、胸打つガチとぶっちぎれたネタを並立させるバランス感覚に優れており、いずれも片方の味を損ねていない。同様のスタイルで制作されたアニメはそれなりに多くあると思うが、このレベルにまで仕上げているのは稀有な例だろう(今期アニメだと『タブー・タトゥー』もキレッキレだったが)。

歯切れよくテンポの良い2話完結型のオムニバス形式で、展開も型に沿った一直線の王道。わかりにくい箇所は見当たらないが、初見では流してしまう些細な会話や描写にこそキャラの性格や関係性の地金が見え隠れしており、話が進めば進むほどに周回時の面白さがいや増す作りとなっている。最終話で天音がどういう人物か明らかになった現在など特にそうだ(例えば7話アバンの友達観など、下手すれば「友達なんてこのくらい薄っぺらくても成立するものなんだよ」という暗ーい見方さえ浮かんでくる……)。
シナリオを成立させるための基盤、ロジックの流れに関してもいい加減な部分は見受けられない。登場人物の情動はもちろん、それ以外の部分までしっかり詰められているのが好印象。UCである紗夜たちがEXRを打倒し得る理由が好例だ。美海の闇堕ち時のリンク不全、アルマリアの吸血による真の力の解放、説得による和解、ステラが速度機能特化型であることに加えてカレンニアの速度の自制、元スーパーエースの切り札と、納得のいく材料が組まれている。
執拗な対比と反復を繰り返す作風も鮮明に映る。過去の編でなされた問いかけを形を変えて再度取りあげたり、それまでのキャラの成長を次編のメインキャラが克己するためのエンジンに組みこんだりと、オムニバスでありながらとても有機的な構造になっている。そのあたりを洗うのも面白いだろう。

絆と相互不理解を主軸に、六者六様の少女の痛みをここまでの熱量をもって真正面から描ききり、見事まとめあげたスタッフの手腕は礼賛に値する。シリーズ構成と脚本を高山カツヒコ氏が兼任し、田村監督が自ら絵コンテを務めた回が多いのもまとまりの良さの理由だろうか。脱帽。両氏の今後いっそうの飛躍を願う。
公式サイトおまけコンテンツの『アンジュ・ヴィエルジュぷらす!』も毎回斬新なネタを提供してくれる、大変楽しく読める漫画だった。本編でタブーとされた融合を軽率にかました第8話は衝撃的すぎる。試すだけならじゃないんだよ紗夜ちゃん。ファイブゴッドドラゴンじゃないんだぞ。

さて、本作は他の何者でもない『アンジュ』という作品でしかないわけだが、その上でなお思い出してしまったアニメを最後に挙げると、以前記事にもした『放課後のプレアデス』である。オムニバスで少女たちが自身の悩みを解決、克己していく(わりとありがちだが)スタイルやところどころの叙情性に近似したものを感じていたのだが、最終話の紗夜のあの台詞によって完全に接続されてしまった。
田村正文監督は作画畑で鳴らしており『ストライクウィッチーズ2』では佐伯監督と共作もしている。ひょっとしてリスペクトだろうか。そうでなければ同じ波長の創作電波でも捉えたか。
ここまでハマったアニメはまさにこの『プレアデス』以来でもあるのでついつい名前を出してしまったが、無論『アンジュ』が好きな理由は『プレアデス』っぽいポイントがあるからではなく『アンジュ』として最高だからである。軍人コントはアデスにはないし宮沢賢治もアンジュにない。

雑感、以上。以下、参考にしたインタビュー。

エルエルを演じた豊崎愛生さんのインタビュー。演者としての読みこみの深さに舌を巻く。ちなみに私は豊崎さんめっちゃ好きです。

豊崎さんインタビューその2。こちらでもやはりキャラ解釈の強さが窺える。

紗夜を演じた寿美菜子さんのインタビュー。紗夜を演じる上での意気込み、シナリオ全体のちょっとした感想、作品そのものについてなど。

>田村監督には「よくあるかわいいアニメ」ではなく、(視聴者に)「何かを残したい」という思いが強くあったと聞いています。お風呂シーンがとても多い作品ですが、実は、マジメな話をする時には、飽きてしまわれないよう、舞台をお風呂にしているそうです。そうしたこだわりの結果、かわいらしさとシリアスなストーリーが同居し、バランスのよさでは、近年ナンバーワンの作品に仕上がっているのではないかなと思います。

なるほどたしかに「何か」が残る作品であった。きっとずっと残り続けるだろうことは想像に容易い。おかげで9/24-25に行われたSILVER LINK.展の展示も見に行ってしまった。最高だった。絵コンテって結構遊び出るんですね……タイファイターってほら、その、やっぱりかーって……

おわり。アーンジュ・ヴィエルジュ!

話数単位で選ぶ 2015年TVアニメ10選

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(今年のアニメを)思い…出した! 綴るッ!

ルールは以下の通り。
・2015年1月1日~12月31日までに放送されたTVアニメ(再放送を除く)から選定。
・1作品につき上限1話。
・順位は付けない。

ネタバレ満載でお送りします。あしからず。


■聖剣使いの禁呪詠唱<ワールドブレイク> 第12話「二つの生を越え-Beyond the time-」

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「みんな、ありがとう!」

OPフェードアウトから始まる圧倒的最終回。どんな代物が出てこようとも絶対受けきってみせる! と構えていたおれの感受性は開幕1分で床ごと抜けて落ちていった。
かつて自身が転生した事実に怯えていたマーヤが自らの意志で(アニオリ設定だが)「再び綴る」さま、サツキと静乃が絶望に囚われた諸葉を救うべく「思い出す」姿、ウィーアーザセイヴァーズ! からの挿入歌『キラリア』。自ずと心身が熱くなるような燃えるドラマが仲間達全員の行動を通して描かれる。「思い…出した!」の天丼とその変奏も健在だ。

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全体的に演出が光る回だが、特に3度目の生たる現世で、またも大切な人達を奪われた諸葉の怒り・絶望の表現は凄まじい。石川界人の熱演と主線ギザギザが目を引く秀逸きわまる演出である。パンドラの箱から最後にとんでもないものが飛び出してきた(毎回とんでもなかったが)。
クソ要素と王道展開を類稀なレベルで両立させた、問答無用の神回といえよう。
あとスーパー諸葉さんのデザインはガチでカッコいい。
しかし二期はまだか……おれはいつまでフランス支部長のシャルルを警戒し続けなければならないんだ……


■えとたま 第5話「滋羊強壮」
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「やっぱりオンエアでは無理にゃが円盤では光がとれてすっぽんぽん!」
「同じセルに描きこんでいるので取れませんデスデス」

看病回→水着回→温泉回→……どう考えてもやり過ぎである。
全キャラ総動員で送る超高密度のAパート。過剰も過剰な情報量、洪水めいたギャグの奔流に思考を丸ごと洗い流される。おもちゃ箱をひっくり返したかのような破滅的カオスは目にも耳にもやかましいことこの上ない。りえしょんのツッコミも普段以上にキレッキレである。
画面の四方八方から矢継ぎ早に飛び出す暴走干支神の突っ切ったボケに次々ツッコんで対処する様相はワニワニパニックにも似ている。

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どいつもこいつも愉快に壊れているがもっともぶっちぎれているのはやはりモ~たん。規制の光を脱ごうとするキチガイアニメキャラが登場するのもこの作品くらいだ。まぶしい。
『えとたま』は60fpsと推定されるプリティモードのCGアニメーション、視聴者の反応をシミュレートしたかのような脚本の面でも大変素晴らしい作品だが、ギャグの勢いにおいてはこの5話が私的ナンバーワンであった。自称日本一うるさいアニメの面目躍如といえる回だろう。
Bパートは救い。メイたん可愛すぎるんだよな……はぁ……


■SHOWBYROCK!! 第6話「DOKIィッ!? 水着だらけの海合宿♡ですぞ♪」

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「夜空に輝く夢の流星を 同じ場所で見つめていたいね どんなに離れていても心が いつかはひとつになれば」

折り返し回。5話において決裂したプラズマジカは冒頭で仲良くビーチバレーを楽しんでいる。前もって不和が解消されたことを示す、ダウナー展開苦手な視聴者にも安心のストレスフリー設計。やったね! 過程に興味を惹きつけるミステリライクな構成も妙。
音楽が本当に大好きだからこそ、その場ではすぐに許せないチュチュ。シアンに似た事情を抱える後ろめたさから真っ先に許してしまうモア。そして浴場でシアンに言葉を伝えられた時点で本当は許したかった、けれども耐えられなかったレトリー(何せ彼女にとってはライブが台無しになった事実よりも、シアンと離れる未来の方が重く、悲しいくらいなのだ)。4人の繊細な心のうつろいが微妙な間や表情、台詞回しをもって描かれる。画作りは元よりBGM、SEひとつとっても叙情的な使い方がなされており、いちいち胸にクるものがある……合間のシンガンのハイテンションが肩の力を抜いてくるのも巧い。

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最高に過ぎたコテージのシーン。2話において『青春はNon-Stop!』で3人を魅了したシアンの歌声が、今ひとたび彼女らを結ぶ。シンプルかつ強度の高い反復構造。言葉だけでは越えられない壁でも音楽なら飛び越えていける、それを証明する一幕だ。
今この瞬間の、有限の青春を目いっぱい楽しむということ。
離れても、つながれた事実は消えないということ。
輝ける時そのものを奏でているのが『流星ドリームライン』であり、プラズマジカのすべての曲である。みんな、最高ぴゅる~~~~!


放課後のプレアデス 第7話「タカラモノフタツ 或いはイチゴノカオリ」

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「すばるに助けられてばかりじゃいられないからな」
「私だって! あ、でも、あおいちゃんと一緒にいるのはずっと好きだよ」

どういう頭の構造していたらこんな会話劇が書けるんだろう……。
本作独自のSF設定が織り成す、けれど普遍的なすれ違い。互いの感情を凝縮した一連のやりとり。伸ばした手を引っ込めるあおい。おれの精神は一瞬にして崩壊した。


Fate/stay night [Unlimited Blade Works] 第20話「Unlimited Blade Works.」

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「ヤツの言い分は殆どが正しかったけれど、どうも、何かを忘れていると思った」

最高速度で駆け抜けたUBWクライマックス。スタイリッシュアディダスパージ! 俺たちの士郎さんが帰ってきた!!
これまでの鬱積を晴らさんばかりのむせ返るようなきのこ節、意図的に間のカットを崩すことで加速される戦闘アニメーション。挿し挟まれる魔術回路のカットインが単調になりかねないチャンバラアクションの緩急となっている。常に足裏で地面を捉え、剣に体重を乗せているアーチャーに対し、士郎の地に足がついてない感じといったらない。ヘタしたら片足浮いている瞬間の方が多いのでは……力量差を雄弁に知らしめる剣戟。至高のBGM『エミヤ』アレンジの使い方がちょっと軽すぎないかと思ったけどこれは後のさよならジューダスを考慮してのことだろう。

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剣の丘に立つ3人は全員が正しくイカれており、アーチャーの言葉は彼ら全員の欺瞞を切開する。
自身の生き方ーーー物語と言い換えてもいいーーーを殺された人間が、その上でどう生きていくか。そのひとつの回答が本作では示されている。
アーチャーの言葉は、論理的な意味ではひとつとして否定されていないのだ。ただ「正しいだけだ」と切り捨てられる。
辿り着く終着まで見据えて、心は欠けてしまいそうで、それでも胸の焔は消えず、選定の剣は引き抜かれる。ここでPC版OPと重ねてくるのはずるい……おれの精神は10年前まで退行し、気付いた時にはPCにS/Nがインストールされていた。Dust to Dust, Ash to Ash. 。彼方へ。Fateは文学(文学ってなんだ)。


■響け!ユーフォニアム 第11話「おかえりオーディション」

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「先輩は、トランペットが上手なんですね」
「上手じゃなくて、好きなの」

音楽や人間関係を通して『響け!』では様々な敗者が描かれてきた。この終盤においてまたふたり、何の罪もない素敵な少女たちが大きな敗北を迎える。
先輩のポジションを後輩が奪っていいか。部活ものの多くで避けられないテーマのひとつだが、この作品はその過程が非常に丁寧。
今までの話を経て、視聴者は香織と麗奈、両者の物語に肩入れしてしまっている(この、肩入れさせる過程もとんでもなく巧いわけだが)。この時点でドラマ作りはもう成功しているといっても良いのだ。

優子と久美子が彼女らの間を行き来し、部長やあすかが各々の立ち位置から香織へのアプローチを試みる中、否応なくオーディションの日は訪れる。

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端正でありどこか素朴な、耳になじむ香織の旋律。
吹き抜ける夏の風のような、凛と響く麗奈の旋律。
素人の耳にもはっきりわかってしまう差……というか違い。恐ろしく説得力の高い表現。
久美子や優子が「どちらの物語を応援するか」を基準に拍手してしまうのも(久美子は単純に演奏を比較できた部分もあるだろうが)、部員たちが演奏の力と好きな物語=香織の境遇を天秤にかけ、拍手ができなくなってしまうのも仕方のないことだろう。
であれば、物語の主人公ーー香織か麗奈のいずれかが自ら幕を引く他ない。こういう時、きっちり片方を殺してくれる力の論理(この場合は演奏力の差)ってのは本当に優しいものだと思う。
香織が自らに引導を渡すための手助けとなったのは滝先生の問いかけだ。慈悲深いという他ない。「吹かないです」と答える一瞬、照明を反射して涙のようにきらめくトランペットも印象的に映る。香織が先生に問われた瞬間の麗奈の苦しげな表情も……。

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遠く憧れた青春、己が夢を託した香織の物語が敗れたのを目撃して、優子の号泣は止まらない。
無様でも、みっともなくても、香織の物語がまだ閉ざされてしまわないようにと必死になってあがき続けた、そんな「優子の物語」を知っているから、視聴者も(というか私も)涙せずにはいられない。香織の物語の敗北≒優子の物語の敗北なのだ。
優子はこれからもずっと、香織の物語を胸に抱いて前へと進んでいくのだろう。けれど、彼女自身の新しい物語は、せめて最後まで続くように。そう願わずにはいられなかった。


レーカン! 第12話「みんな、つながっているんです。」

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「でももし不安に思ったそんなときは、手を伸ばしてください。そうすれば、きっと」

ワンクールを通して徹頭徹尾「人と人とのつながり」を描いてきた『レーカン!』。天海響という少女がつなげてきたいくつもの縁が、今度は響自身に向けて収束、結実するのがこの第12話だ。
霊感を失い、霊が視えなくなった響。周囲からは霊の気配さえ消えてしまう。侍にコギャル、エロ猫に人魂と終始賑やかだった画面は一転空虚な面持ちを見せる。曇天の昼特有の薄暗い空間に蝉の声が静かに響く。環境音のみの間の置き方が絶妙。
今まで視えていたからこそ、視えないものなど信じられない。響にとってつながりは視えて当然のものであり、極端に言い換えれば「(霊感によって)視えるという事実」こそが、彼女にとってのつながりだったのだ。

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「色々なところで、たくさんつながっているんですね。明日も、つながっていくんですね」
第3話での響の言葉はこちらとしても頷く他ない圧倒的な説得力の祈りだが、これは「霊感を持つ天海響」の言葉だ。響自身が霊感≒つながりを失ったと思い込んでしまった以上、信じ続けられるわけがない。

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井上が差し出す卵焼き。3話のリフレイン。
井上の祖母の味が響を通して井上へと伝わり、勇希と父、そして生まれてきた妹をつなげたように。
響の母の味が響を通して井上へと伝わり、今度は響自身に帰ってくる。
遺された卵焼きの味は亡き人が居た証であり、その美味しさは今生きている人にも届く。生の証跡たる食事は、在りし日と今をつなぐ橋渡しとなる。9話ではより直接的に描かれたポイントでもある。
1話のお供え、8話のままごともそうだが、本作において食事に宿る意味合いは大きい。食と生は不可分なのだから。
「私、食べられないって、そう思って。私だけがこんなことって。なのに、美味しい。美味しいです」
霊は視えない。母も視えない。けれども、卵焼きの味は遺されている。
語らない台詞から滲み出る響の自罰めいた感情……きつい……つらい……。
井上たちと仲良くなれたのも霊感のおかげだったと吐露する響。自分の存在意義を霊感のみだと断じる響。台詞の端々から凄絶なバックボーンが垣間見えてくる。

「霊感のない私は、何もない私は、それでもつながっていける、そんな自信がなくて」

けどこんな言葉、井上でなくとも許せる道理なんかない。

勇希一家と再度会わせるべく井上は響を街へと連れ出す。道中、今までつなげてきた人々と再会し、少しだけ良い方向に変わった彼らの感謝や叱咤を受けて、響は小さな驚きを覚える。ベタな王道。しかし舌を巻くほどにハートウォーミングな展開。どこか得意げな井上がかわいらしい。
「おかげでちょっとはわかったんじゃない? あんたはーー」
自分のしてきたことを再発見する響の前に、最後に現れるのは勇希の一家。

後に井上が語るように、響が人々をつなげたのは霊感だけの力ではない。
老若男女を問わず、好意的な人から否定的な人に至るまで。いなくなってしまった人も、生まれてきた人さえもつなげたのは。

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かつて響が信じた「明日もつながっていく」ということを体現する、勇希の妹・響歌。
これまで響がつなげてきた幅広く豊かな縁が、今度は彼女に向かって伸びてくる。一人ひとりが手を差し伸べ、彼女を痛みの底から救い上げる。
響を救うきっかけになったのは井上だが、真に救ったのはつながりそのものであり、つなげてきた自分自身だ。つながりを通して人の想いは巡っている。

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今なお霊を怖がる井上が、震えながらも響の手を掴み取ったことで。
「それが許されるのなら、つながっていたいです」
それによって響は、霊感がなくてもつながれるという奇跡を、本当の意味で信じられるようになる。
「井上さんたちと。霊のみなさんと。たとえ見えなくても」

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信仰は確信に変わり、つながりへの道は開かれる。雲間から射し込む陽の光と青信号の演出が小憎らしい。まだ井上は怖がっている。可笑しい。からの「私もとっくにつながってたわけか」。とんでもない描写強度。
視えるか視えないかはすでにどうでもよくなっていて、だからこそ視えるようになるという逆説的な着地点。ウルトラC。ブラーヴォ。1000万点。おれの精神は跡形もなく爆発四散した。
「見えなくても、泣かないでください。見えなくても、悲しまないでください」
ラストの響のモノローグは本作のテーマを総括する。冒頭で取り上げたラストシーンは『ユリ熊嵐』12話「見つけたよ」、『放課後のプレアデス』12話「待っててね!」にも匹敵する最高きわまる名シーンだ。
つなげる意志、循環する想い。Key諸作品にも通じる感動と余韻を残す文句なしの傑作回だった。久弥直樹を感じる。
単発の火力なら6話・8話も相当なものだが、今回はこの12話に軍配。


■落第騎士の英雄譚<キャバルリィ> 第4話「落第騎士 IV」

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「みんなぁ! 挫けそうな黒鉄くんを応援してあげてくれぇ! それワーストワン!」
「「ワーストワン!」」
「ワーストワン!」
「「ワーストワン!」」
「ワーストワン!」
「「ワーストワン!」」
「あっほーれワーストワン! ほーらワーストワン!!」 

私的2015年ベストバウト回。
Aパートでのアリスの「強さとは我慢」という言葉は的確。一輝の過去と現在背負うもの、そのためにかかるプレッシャーが台詞と噛み合い重みを増す。心情表現が緻密で豊かなのも『キャバルリィ』の大きな魅力だ。
やりすぎな「ワーストワン!」演出からのステラが叫ぶ流れはあまりにも熱い。一輝の痛みを見抜いたアリスとの会話がここで活きてくる。
彼が再び立ち上がり、自分に喝を入れてからの3分間は圧巻の一言。「ほらどうした戦いなYO☆親切でやってるんだZE☆」「君のおめでたい脳天でも狙うかぁ、当たったらオタブツだぜぇ?」etcetcで溜まりに溜まった桐原静矢へのヘイトがこの3分で炸裂する。

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『一刀修羅』+『完全掌握』の時間。神がかった戦闘。大量のカッコいい静止画をアニメーションが成立するギリギリのバランスでつなぎ合わせたかのような、目を見張るバトルシーン。角度を活かしたカメラワークと荘厳かつ情熱的な劇伴、鬼才・松岡禎丞の煽りと悲鳴がこっちの感情も盛り上げまくる!

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「イカサマだあああああああ!」「ミリオンレイン!!」「待て! 止まれ! 止まれ止まれ!! やめてくれええええええええ!!」「そうだ! じゃんけんで決めよう!」「友達じゃない……かッ……!」
全カットカッコいい。切り替わりが早い。一瞬も目を離せない。ミリオンレイン投げ返す瞬間とかヤバイ。自然と拳を握りしめている。体温上がる。松岡君最高。
およそどう倒すのか想像もつかない強能力『狩人の森<エリアインビジブル>』を、『模倣剣技<ブレイドスティール>』を進化させた『完全掌握<パーフェクトビジョン>』で破る流れも理に適っている。相手の技を盗めるのなら行動をシミュレートできてもおかしくない。テニスの王子様でいうところの『無我の境地』→『才気煥発の極み』と同様のロジックである。能力バトルかくあるべし。
なおこれは完全に余談だが、この回を観終わった瞬間円盤を予約した。


■想いのかけら

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「ほんの少しずつ、気付かないくらいにしか違わない毎日を重ねながら、私は変わっていく」

NHK×福島ガイナックスで送る短編アニメーション作品。東北の港町、被災地の仮説住宅で暮らす中学生の女の子・陽菜のささやかな変化のお話。
フィギュアスケートの練習に励み、怪我をしてしまう陽菜。思い出の中の母親の姿が、遺された大切なものがそっと彼女の背中を押す。陽菜を取り巻く父やご近所さん、友人にコーチといった人々の姿も温かく、胸をうつ。
心温まるドラマがたった2分に凝縮された結晶のような作品。現在もWebサイトで公開中なので興味があればぜひ観てほしい。

絵コンテ・演出は『放課後のプレアデス』でおなじみ佐伯昭志
ただ2周しないとストーリーの把握が若干難しいかもしれない。

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少し泣く。


■俺がお嬢様学校に「庶民サンプル」としてゲッツされた件 第10話「前から気になっていたんだけど、ゲッツってなんなの?」

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「黄色い、男物のスーツ……?」

見た目とは裏腹に存外細やかな感情の描写と少しずつ進んでいく登場人物の関係性が『ゲッツ』の大きな魅力だが、この回のAパートだけは完全にパラメータをダンディ坂野に全振りしている。
本作においてゲッツは突然放り込まれる爆弾のようなギャグだった。回数はそう多くない、必殺技みたいなものだった。発射された瞬間にテレビ画面と視聴者の間に奇妙なねじれを生じさせ、こちらの思考を感受性もろとも吹き飛ばすーーそんな危険きわまりない代物だった、のだが。

f:id:n_method:20151224003209j:plain「ゲッツしてる……!」
開幕5分でとうとうご本人登場である。ゲッツ監修としてスタッフロールに名を連ねてはいたがまさかこの2015年にダンディ坂野がアニメに出るとは誰が想像できただろうか。この瞬間私は完全に覚悟を決めた。ワルブレリアタイ以来の強い覚悟。
そうこうしているうちにヒロイン愛佳へのゲッツの講義が始まる。

岸本斉史も真っ青の三点視点ゲッツ。
実際練習したので多少分かるが、愛佳のゲッツはレベルが高い。作中で言及されていた「腰を落とす」「足を開く」という基礎はもちろん、力を入れすぎず、ダンディ坂野が形作った型枠にそっと置いてくる。レイアップシュートのイメージ。

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今ここに、確かにダンディがここにいた。
その後は人気者の化身となったダンディ愛佳がお嬢様学校の面々をダンディミームで侵食していくさまが描かれる。

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「ゲッツ」
「ひっ」
もはや攻撃である。

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「ゲッツ」
CV:ダンディ坂野(本人)である。

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その果ての終局だ! もはや止める術などない!!
「ではいきますわよ! せーの、」「「「「「ゲッツ↓」」」」」

嵐の中を吹き飛ばされるビニール袋みたいな精神状態でやっとCMまで漕ぎ付けて。おれを待ち受けていたのは『本物』の一撃だった。

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真・ご本人出演。
満身創痍でふらついていたおれの矮小な感受性はここで完全にワールドブレイクされてしまい、ゲッツのげの字も出てこないBパート中もずっとダンディ坂野とイチズレシピが頭蓋の奥でこだましていた。歪みねぇな。

なおこれは完全に余談だが、本作の私的ベストゲッツはこの次の回、第11話のモブのゲッツである。アニメ『ゲッツ』が積み上げてきたもの、籠められた何重ものニュアンスをぜひその目で確かめてほしい。ゲッツ。ゲッツ。

【12/24追記】
本作のベストゲッツ、最終話で更新されました。ありがとうゲッツ。




以下、他に候補に挙げていた話数。
ユリ熊嵐 第4話「私はスキがもらえない」
■幸腹グラフィティ 第8話「ほくほく、はぷっ。」
■ローリング☆ガールズ 第8話「雨上がり」
■グリザイアの楽園 第8話「ブランエールの種Ⅳ」
■空戦魔導士候補生の教官 第11話「決勝戦、そして…」
わかば*ガール 第13話「普通の女の子」
■Charlotte 第13話「これからの記録」
■ハッカドール THE あにめ~しょん 第2話「アイドルやらせてください!」
■影鰐 第3話「帰還」
蒼穹のファフナーEXODUS 第17話「永訣の火」
■コンクリート・レボルティオ 第10話「運命の幻影」
記事にあるタイトルではワルブレ4・10話、えとたま9・12話、プレアデス12話、ユーフォ8・12話、レーカン!8話、キャバルリィ10話あたりは迷った。迷いすぎですね……。


以上。コメントの分量差はその……ごめんなさい……
なんというか、やたらポップなチョイスに仕上がった気がする。あと笑いか泣きに偏重している。どうも私は感情の振り幅が大きいものを面白いと感じるらしい。
この1年を振り返ることのできる大変有意義で楽しい企画だった。他の方の10選も興味深く(「この人……できる!」と思う記事ばっかりだった)、実際観たくなった作品も多い。きっと今年放映されたアニメ全部観たらまた変わってくるのだろうな、とは思いつつ、今回はこの10本で決まりとさせて頂きたい。

ここまでお読みいただきありがとうございました。