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話数単位で選ぶ 2016年TVアニメ10選

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私にとって2016年(のアニメ)は「愛」と「才能」そして「承認」の年であった。
そんな感じで10コ選ぶやつ。覚書に近い記事なので読みづらいところも多々ある。

ルール
・2016年1月1日~12月31日までに放送されたTVアニメ(再放送を除く)から選定。
・1作品につき上限1話。
・順位は付けない。


無彩限のファントム・ワールド 第11話「ちびっ子晴彦くん」

ベストオブ永遠に放送していてほしいアニメ2016に見事輝いた京アニ自社産ラノベアニメが繰り出す乾坤一擲のおねショタ回。まったりめな空気とポップなコメディ、予定調和の愉快なバトルに時おりほろりとくる人情味。てんこ盛りの快楽がもたらす視聴後の完全食めいた満足感が本作の大きな魅力なわけだが、11話はメインヒロイン・川神舞の魅力に傾注した回であった。

身体も中身も小学生に戻った晴彦の視点に寄り添いころころとテンポよくお話は進む。ファンタジーの許容量が莫大な本作ならではの軽妙さ。面倒見のいい舞先輩と青年時より数段小憎らしい少年晴彦との掛け合いが微笑ましくて面白い。
幼少期の長い時間をひとりで過ごした少年晴彦の孤独と、自分の存在が周囲に迷惑をかけているという自覚は身につまされるものがあった。生活感ある種々の描写が心苦しさを補強する。そしてそんな晴彦を先回りで気遣う包容力いっぱいの舞先輩が本当に素敵。私はこの回まで正直舞先輩のことはそんなに好きでもなかったのだけど途中から完全に舞お姉ちゃん……って呼んでた。
迷惑をかけていると知ってなお「戻りたくない」と口にする晴彦が、舞先輩の危機を前に「大人になりたい」と願い元に戻る一幕は直球ながらアツい。猫のおしっこくさかったんだもん! な砂場のファントムを敵に配置することで重くなりかねないバトル展開をライトな手触りに仕立て上げている。

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晴彦の嘘の作文が叶った夢のような現実の日々。その記憶を持ち帰ったのは舞先輩ひとりだけで、元に戻った晴彦はそれを事実としてしか知ることができない。
そもそも当の晴彦自身、そんな過去には既に折り合いをつけているのだ。この話は舞先輩が一方的に晴彦の過去に触れ、今の彼への心的距離を勝手に縮めたに過ぎない。
それでも、彼との楽しかった日々は、たしかに存在していたのだ。
証左としての「ともだち」の雑誌は晴彦の自室に残される。まったく困った子どもであったと晴彦をからかうみんなの「ウソウソ」に対して、寂しさや悲しさをかすかに滲ませた舞先輩の「ホントに」という一言、そして柔らかな笑顔で物語は幕を閉じる。
夢と現の境界が曖昧な、そしてその両方を大事にする本作ならではの素晴らしい話だった。

ここ数年で色々な作品を摂取してきて気付いたこと。
ある/あったかもしれない世界、現実未満の地平、絵空事ないし偽物の類を尊重する態度を取っている創作物に対して私は魂のレベルで弱いらしい。夢は夢だから現実を受け容れるのだ……というテーマではなく、ファントムの優しさをベースに夢と現実を等価値に置いた第4話もスマッシュヒットの回。

蒼の彼方のフォーリズム 第12話「もっと…飛ぼう!!」

「とにかく飛ぶシーンの魅力に尽きた。装備が極端に少ない点からは日常の延長線上に空があることが説明以上に伝わってくるし、空と人だけが映っているアニメーションは『空を飛ぶ行為』のプリミティブな魅力に満ちている。フライングサーカスという架空の競技の楽しさがこの原初的魅力を損なわず高めてくれるのが個人的にはベストかな。」

1話時点での感想が以上のもの。フライングサーカスが始まってもその魅力は一切失われなかった。遠近と角度を活かしたカメラワーク、ぐりぐり動く緩急の効いた飛翔、二対四足で描かれる軌跡の躍動感、そして空自体の抜けるような青さと、画作りに関しては言うことなし。ドラマ面はシリーズ構成・吉田玲子さんのリリカルな手腕が冴え渡る。たった今気付いたけどさっきのファントムワールド11話もこのお方の担当回だ……。
劇伴はElements Gardenが担当。ついでに言うとゴンゾ元請作品でもあるためストウィのノウハウも継承しているのかもしれないしそのへんは断絶しているのかもしれない。
とまれ、総じて超!名作と断言できる素晴らしいアニメに仕上がっている。

そんなアニメ版あおかなの最終回はこれまでの軌跡の集大成。互いへの憧れとリスペクトが織り成す、あらゆる競技者のあらゆるプレイングに対する全肯定である。
本作に通底する主題として「自分の飛び方の発見」がある。ヒロインたちや主人公、ライバルは自分以外の競技選手との練習や特訓、対戦を通じて「自分の飛び方」を見つけていく。相手の飛び方の良い所を真似したり、相手に通用する自分の得意技を磨いたり。
ここにアンチテーゼを突きつけてくるのがラスボス・乾沙希とリリーナのコンビ。沙希の得意技「バードケージ」「グリーンスリーブス」はいずれも相手の動きを阻害する戦法であり、相手に相手の飛び方をさせない。カードゲームで例えるならランデスやデッキ破壊のようなものである。
忌み嫌われるほどに強力な戦法はゲームからゲーム性を奪い去り、ともすればプレイヤーに恐怖を与える。観衆を楽しませる「サーカス」にもならない。

しかし作中ではこの飛び方を否定するのは、かつてこれらを開発した当人である部の顧問・葵だけである。真白などさらっと真似ている始末。
みさき、明日香は沙希の戦法に真っ向から対峙し、立ち向かう。そして沙希にはただ「一緒に飛ぼう」と語りかける。そこには沙希に対する競技者としての強いリスペクトが存在する。
みさきと明日香に触発され、リリーナに前述の飛び方を強いられていた沙希が、「一緒に飛びたい(これが初めて身に付ける「沙希の飛び方」でもある)」と願ったとき。
そしてグラシュのバランサーを外した(=一緒に飛ぶことを拒否した)沙希に追随する(=一緒に飛ぶ)ため、明日香もバランサーを外したとき。
今までの競技の常識を越えた、途方もない光景が現出する。
バードケージ等の技を開発してしまった、そんな自分のスタイルへの憧れをリリーナに抱かせてしまったことに対して葵がずっと抱え続けていた自縄自縛の呪いまでも解ける。主人公同様引退した身で、もう一度飛びたいと願ってしまうほど。

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自分にない何かを持った人が描く軌跡に憧れて、時にはそれに届かない現実に心折れることもあるけれど、それでも焦がれて、追うように飛翔し、最後には「自分の飛び方」を見つける。
この各人に共通するストーリーラインが競技と心情の両面で完璧に融和しているのがアニメ『蒼の彼方のフォーリズム』だった。
互いが互いの飛び方に何を感じてどう思ったかという点に着目し、改めてフライングサーカスの一戦一戦を観戦してみれば、他者と軌跡を交える行為の含意もうっすらと見えてくる。バードケージやグリーンスリーブスは「軌跡を交えない」技でもあるのだ(言い換えれば、みさき戦までの沙希は相手と一緒に飛んでいない。対戦相手はレースゲームでいうゴースト未満の扱い)。

だからこそ、互いに焦がれて追いあうことでしか生まれ得ないラストバウトの光景は、私には言葉にできないほどに美しく、そして尊く映った。
回想で度々描かれるアンジェリック・ヘイロー*1の延長線上にあるかのような、光の繭のような軌跡。
グラシュの描く軌跡をパイプとして、人と人との憧憬が、誰かと一緒に飛びたいという想いが、巡りあい循環している。

繊細かつ鮮やかな筆致でふたりの少女の感情の移ろいと友情の始まりを描いた第4話、明日香・真藤との対比を重ねて鳶沢みさきというひとりの競技者の再起までを描き抜いた第9話も本当に素晴らしかったのだけれど、今回は最終話に軍配を上げたい。挿入歌の使い方も相まり神がかった話数となっていた。既存のPC版主題歌なのにシーンに200%マッチしているという。
作品単位でも間違いなく今年べストアニメの一角。ベストなのに一角とはこれいかに。

■想いのかけら(25分版)

福島ガイナックス創生の光にして昨年『放課後のプレアデス』を製作した佐伯昭志監督の最新作。オールタイム1話完結アニメベストかもしれない(そんなに数観てないが)。
2015年秋初放送の2分版をバージョンアップした、2月放送の5分版は率直に言ってよくはなかった。ナレーションに会話にモノローグに挿入歌とレイヤーの異なる言葉を短時間で次々投げつけてくる困った作品だった。対して、この25分版は2分版に蒔かれた要素に新たな要素を盛り込みながらも、一切の余剰も不足も見当たらないパーフェクトな作品となっている。初見時、2周目、幾周目とボロボロ泣いてしまった。選出にあたり今また視聴したが案の定ボロボロ泣いている。

震災により母親を失った主人公・陽菜と父は「異なる時間」を過ごしている。漁師である父は早朝には仕事に出なければならないため早寝早起、結果として同じ仮設住宅に居ながら娘と生活時間帯がずれている……という意味合いがまずひとつ。
そして、震災に関する体感的な経過時間がふたつめとして挙げられる。当時小学生だった陽菜の記憶はおぼろげだが、一方で父は鮮明なまま。「七年も経った」と口にする陽菜と「たった七年だぞ!」と憤る父の姿は印象的に映る。
生活時間と体感時間の二点でふたりは噛みあっていない。付け加えて、陽菜は陸で、父は海で過ごす時間が長い。「異なる場所」で生きているとも言えるだろう。

そんなある日陽菜の元に届くのが、幼なじみのみちるが引っ越しにより街から離れてしまう事態と、七年前に埋めたタイムカプセルから取り出された一本のリボン、そしてボランティアの写真修復プロジェクト「想いのかけら」によって修復された亡き母との写真。
陽菜はリボンが母親から贈られたものであることを思い出し、同時に母を忘れてしまっていた自身に対する悲しみ、楽しかった日々が永遠に失われている現実への悲しみに直面する。これにより陽菜の体感時間は父のそれに急激に接近する。

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昼と夜が交わる夕刻、陸と海が交わる防波堤で、父娘の時間と場所はひとつになる。シチュエーションを比喩っぽく重ねているのも詩的でグっとくる一幕。
陽菜は自分の気持ちを父に伝え、無理なのはわかっているけどこの街をどうにか戻したいんだ、諦めきれないんだという父の気持ちを知り、ひとつの回答に辿り着く。

「無理かもしれないけど、この街が好きってそういうことだもの。それが当たり前なんだよ。好きな気持ちを忘れることのほうが、やっぱり悲しいと思うもの」

陽菜も、みちるも、街も変わっていく。当人の気持ちとは関係なく。
変われないのは父の感情だけだ。そんな父を陽菜は否定しない。 みちると別れてしまったことが、母を忘れていた今の自分が、そうした変化のひとつひとつが、たしかに悲しかったからだ。

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「だけどこうして、ほんの少しずつ、少しずつ、気付かないくらいにしか違わない毎日を重ねながら、私たちは変わっていく」

7歳の自分から贈られたリボンが、すべてを元に戻したいと願う父の気持ちの肯定につながり、同時に14歳である現在の自分が(本来届く予定だった)20歳の未来に向かうための背中を押す。
「途中で届いたタイムカプセル」というアイテムを用いるにあたり、これ以上ない作劇だろう。

ところでこの「私たちは変わっていく」という台詞は、私には能動的にも受動的にも聞こえる。
否応なしに流れてしまう時間というものへの諦観……つまり「私たちは変わっていってしまう」ことと、その上でなお何かを積み上げていこうとする「私たちは変わっていく」決意がこの一言に集約されているからだ。
「時間」という人にはどうしようもないもの、それによりもたらされる「変化」に対して、挫けず、面を上げ、前に踏み出す。転んだなら切り返して持ち直す。結果が伴わなくとも、笑う。
アニメでは陽菜が独白と共にフィギュアスケートでこうした美しい姿を見せたが、この独白の主語はあくまで「私たち」である。では「私たち」に含まれる人とは? アニメの中の人々? それとも現実の被災者の方々?
もちろんそれらもあると思うけれど、私は「時間」「変化」に抗えないすべての人へのエールだと解釈したい。それくらい誇大に考えてしまう普遍的パワーを本作には感じた。

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他ならぬ「変わってしまった(仕方なく町を離れた)」側のみちるが「変わっていく」陽菜を観客席から見て涙と笑顔を浮かべるの、いくらなんでも反則だろう……。

ビッグオーダー 第6話「オーダー! つなげ、魂!」

えすのサカエ的としか形容できない異常な空気が支配する本作。展開の突飛さと論理圧*2の凶悪さがクセになる原作に例のゴキゲンな劇伴と森田成一さんの「オーダー!!(絶叫)」をオーダーしたアニメ版『ビッグオーダー』、信じられないほど脳にキマる。今年最も脳細胞に深刻なダメージをもたらしたアニメといえば『ビッグオーダー』。次点で『アンジュ・ヴィエルジュ』だろうか。
速い・オカしい・イカれてる。三拍子揃ったドライブ感に1話完結としての完成度を備えたのがこの第6話である。

「お前を妊娠なんかさせねえから!」という2016年最悪の台詞のインパクトは勿論のこと、やたら気合の入った蕎麦の作画、脱衣、少年と少女の機微に沿ったリリシズム溢れる一幕の会話、瞬間心重ねて合体、オチの次元両断<ディメンションソード>と見どころは異様に多い。というか見どころしかない。神魂命の「ヨダレ止まんね」という台詞を「やっべお汁が止まんない」に改変した高山カツヒコとかいう脚本家はえすの先生のぶっ飛んだノリとちょっと相性良すぎたのだろう。次回作がもしアニメ化したなら絶対また登用してほしい。

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あまりにも唐突に登場する敵方最強クラスの剣客・柳生十兵衛より放たれる無体なガー不必殺技・次元両断<ディメンションソード>がオチを一手に担う。敵の刺客は始末されるしお汁止まんない巫女は死ぬ。全体の流れまで両断して即ED。ヘタな爆発オチなんて目じゃない傍若無人な展開である。それにしてもものすごい絵ヅラだ。飛ぶ斬撃がエネルギーや空気でなく金属質なの初めて見たぞ。
そんなきわめて完成度の高い回。あとそれと壱与がとてもかわいい。

■アンジュ・ヴィエルジュ 第9話「誰よりも速く」

アンドロイドは人間の理由なき「大切」を理解できるか。
どこを切り取ってもべらぼうに会話が濃くて胸焼け必至な本作、白の世界編はシンプルな言葉ひとつに膨大なニュアンスを籠めてズバッと投げこんでくる。パートナーを想うふたりの少女の、アクセル全開のドラマティックな衝突。叙情とドライブ感に満ちており、ロジック面でも優れた傑作回だった。

詳細は上記の記事の白の世界の項に記載したので割愛。
上の『ビッグオーダー』も併せて、個人的に2016年は高山カツヒコイヤーだったと言っても過言ではない。

■ガーリッシュナンバー 第1話「やさぐれ千歳と腐った業界」

俺たちのディオメディア*3が満を持して発射した2016年の最終兵器。ディオメディアラノベアニメのある意味ひとつの結節点。
「社会通念上汚いとされる欲望(承認欲求を含む)」「それを求めてしまう人格」「いくらでも代わりの利く人材・事物」という諸々の残念なシロモノに作中で「クズ」「クソ」というバズワードを割り振り、それらすべての存在を認める祈りと許しの物語が本作だが、第1話はスタートからゴールの勝ったなガハハ!に至るまで作品のヤダ味を結集している。
「このアニメはこういう作品です!」と視聴者に力強く宣言するのが第1話の役割だとするなら、この回はその役割をきっちり果たしているといえるだろう。後の第11話(この話数を選出したかった気持ちも大きい)において主人公・烏丸千歳が辿り着く、邪道も邪道の境地を1話時点で完璧に予想できる人はそういないと思うが……。

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特殊OPの舞台裏でくるっと回って無邪気に笑っている千歳はちょっともうめちゃめちゃ可愛らしい。そして切ない。胸がきゅっとする。
イベントの帰り道で百花と一緒になり、連絡先を交換して別れた後の「なんかいいなあ」も、格上の声優と知り合えた喜びと単純に友達ができたことへの喜びが渾然一体でなんともエモい。八重と京の出番を2話にズラし、ぐだギスっとした現場の空気と千歳の魅力を前面に押し出すことを優先したという点でも技ありな1話である。
それにつけても九頭P。「宴も高輪プリンスホテル」→「よっこらセックス!」の流れはいくらなんでもひどすぎる。フツーに目眩を起こしてしまった。絶望感すら覚える台詞回し。これはひどいアニメがきちゃったぞと思わせるには十分過ぎるしなんならここで視聴打ち切りまである。

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千歳はアレだし社長も軽いしラストの三人の掛け合いオモシロすぎる……無駄に劇判のラッパが効いてて尋常ではないアッパラパー感。破滅一直線の物語の幕開け、なんかもう全部がきちゃない。そしてそれでこそ意味がある。『ガーリッシュナンバー』という作品を象徴する名シーンのひとつ。
余談だが、今後悪化の一途を辿る烏丸千歳のパーソナリティは前日譚の小説を踏まえると余計複雑に映る。これがまた大変な読み応えがある。ただの小学生めいたノータリンなスカタンではないらしいのだ、一応。

さらに余談だが、本作の主人公・千歳と上に挙げた『アンジュ』の主人公・紗夜、後に述べる『卓球娘』の主人公のひとり・上矢あがりは、いずれも承認欲求に囚われて前が見えなくなってしまった人物。
それでいて全員がまったく異なる三者三様の答えに行き着いたのはとても印象に残った。
バトルものであるアンジュはともかく、このようなケースにおいては部活もの・業界ものの場合「承認欲求もあるけど題材にしているものが何より好き!」を結論に置くのがベタで強力な一手となる。そういうの一切言及されない烏丸千歳は突き抜けている……

灼熱の卓球娘 第3話「好きっ!!」

そのベタを十全にやりきったのがこの熱量の暴風雨みたいな回。
部内ランク1位の座をこよりに奪われかねない事態に焦燥感を禁じえないあがり。今のあがりにとって卓球は目的ではなく、承認されるための手段に変質している。ラケット型のサイリウムを前にアイドル姿でステージに立つイメージ映像は笑えるが驚くほど本質を突いている。身に覚えがあったりあったりする。おかげでびっくりするくらい刺さった。不覚にも涙腺を殴打されてしまった。

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何をやっても人並みにできない、何にもなれない、けどでも何かになりたかったときたまたま出会ったひとつの競技で、人より少し上手くできたことをほめられて、嬉しくて、それを好きになって……そんな誰でも持ちうる導線に対しての「ほめられるのが好き? それともそれ自体(卓球)が好き?」という問いをフォアハンドスマッシュのプレイひとつに集約する構成力。
動機はどうあれ努力を重ねて都ベスト8まで上り詰めたあがりの向上心自体は心底尊敬できるものだから、部員のあがりに対する尊敬も今と昔とでさほど変わらず、ただ賞賛だけを追い求めてそれに振り回されてきたあがりの「賞賛の受け取り方」だけが変わった……この変遷を、あがりの笑顔ひとつで示すシナリオ力。
特殊OPで負けられない理由を語り、特殊EDでそれから解放されるまでの彼女の道程を並べ直す演出力。
どれを取っても素晴らしいし、ここまでやるのはズルいとも思った。

ほめられたいから勝ち上がりたかったあがりがこよりのプレイに「好き」を引き出されたのと対照に、「好き」だけで満足していたこよりがあがりのプレイを間近に見て自身の勝ちたい理由を定義する第5話(全国を真剣に目指すというあがりの思いそのものはこより戦前から持ち続けていたというのがすごくツボ)、承認されたいという一心であがりが積んできた努力と育んだ実力を肯定する第9話と、本作は作品全体を通してのバランス感覚にも優れている。
『卓球娘』は全12話の構成を逆算して作ったかのように連続的に主題が散りばめられており、恐ろしくまとまりが良い。そのあたりを適宜拾っていくのも楽しかった。
競技に向き合う少女たちひとりひとりの心に真摯に寄り添った名作。

■フリップフラッパーズ 第6話「ピュアプレイ」

不和の家庭と子どもの孤独を描いた話にめっぽう弱い。
ふわっとした印象の過去5話の冒険とは明確に切り口が異なり、第6話は血肉を伴った「イロドリ先輩の過去」として捉えられる。パピカとココナで先輩の心の役割を正負に分離するイリュージョンは子どもの精神の有り様を如実に描き出す形で作用し、内容の生々しさをいや増す。
画面レベルでの暖色ー寒色ーモノトーンの使い分け、初めは意味のわからない「イロはイロだよ」という台詞が「彩いろはは初めからひとりであり、両親の不仲やおばあちゃんの認知症に直面した『不幸なイロ』を切り離しての『純粋に幸福なイロ』という存在はこの世のどこにも存在しない」という現実をおぞましいほどの鋭さで突きつける。
どこにも行き場のない彩いろはの閉塞を打破するのは「忘れられたらまた名乗る」という約束。絵の端に名前を書くようになったPI後の変化も示唆に富んでいる。

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爽やかに終わった6話ラストが7話アバンによりまったく別の意味合いを帯びてくるのも強烈。

と、こうしてざらっと書いてはみたが、正直私には全然消化しきれないレベルの回である。
『フリフラ』は各話まったく味わいの異なるパワフルな大冒険を描いた前半から一転、後半は広げた風呂敷を畳むべく怒涛の設定回収と母子を取り巻く主要人物のドラマに終始し収束していく(ラストは再び発散する)のだが、結び目となっている6-8話あたりが私は特に好みだった。9話のココナーヤヤカ戦は幼なじみ好きにはつらすぎてつらい。結局ヤヤカのほうがぽっと出のポット野郎だったわけで……新人脚本家ハヤシナオキ、絶対許せねえ……

響け!ユーフォニアム2 第9話「ひびけ!ユーフォニアム

群雄割拠の2015春アニメ最強の一角だった『響け!』。続編となるこの作品も実に最高の逸品だった。サブタイトルがタイトルの回は……。
高坂麗奈さんのオトメムーブがはじけるAパートも実にイイが、面倒くさい女子が三度の飯より好きな私はBパートの田中あすかについて書こうと思う。
香織先輩の登場から始まる、手すりや柵を用いたあすかとの隔絶を示す画面作り。香織に靴紐を結ばれるあすかの表情は窺い知れないが、恐らく大変おっかない。誰に何を縛られるのも厭うあすかのキャラが端的に描かれている。

勉強会の休憩時間に、あすかは自分がユーフォを吹く動機を語り、久美子はそれでもあなたの音が好きだ、今すぐにでも聴きたいと返答する。
私情を殺した滝先生を既に描いているからこそ対比でいっそう際立っている、私情で動いてしまったあすかの自嘲に「そこに何があっても私はあなたの音が好きです」という気持ちをぶつけたのが、あすかが最もユーフォっぽいと感じ憧れた黄前久美子という……その……

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「私、自分のことユーフォっぽくないってずっと思っていたんだ」にはショックで息が止まってしまった。
あすかの独奏は美しく、胸を打つものがあるが、ここでも鉄橋を挟んでふたりの断絶はなお続いている(と読める)。
これを「吹奏楽部という巨大な郡体のうちのひとり」ではなく「黄前久美子という個人」として飛び越えるのが第10話だろう。あなたの音が好き! に留まらず、自分のため(そしてあすか自身のため)に本番の舞台で吹いてほしい! と語った久美子は、私利私欲で吹いてきたと吐露した9話のあすかに対応する。だからこそあすかの許し、救いとなれる。
この、誰のため、何のために吹くのかという命題は『響け!2』全体を貫く柱のひとつなのだと思う。

家族の影響から教本の種類、誰かにほめられて嬉しかったことまで黄前久美子と田中あすかのスタートラインはまるで同じ。
ずっと黄前久美子のことをユーフォっぽいと感じていたあすかの目線で振り返る劇場版『響け!2』絶対観たい……観たい!!!

■ViVid Strike! 第10話「雨」

2016年最高のアニメは今なお議論が待たれるところだが最強のアニメはこれであった。
選んでおいてなんなんだけどこの話数そのものについて私が何か語るのは難しい。会話劇が凄絶、これに尽きるからだ。一撃が重い。キレ味も抜群。一言話すたびに精神が爆発する。都築脚本神話の再誕を見た。ぶっちゃけ台詞全部書き起こして最高!!!! 以上!!!!! って書いて失神するのが一番手っ取り早い気がする。
とはいえ選んだ手前最高!!!! で済ませるのもやっぱアレだから色々書いてみようと思う。結論から言えばリンネ・ベルリネッタの掘り下げがこちらの想定を圧倒的に凌駕していたのと、背後で静かに進行したフーカ・レヴェントンの物語の両面に完敗したのだが。

これより前の話数でも出てきているが、リンネの台詞は強くなったと「思いたくて」という言い回しが肝で、彼女は自分を信じられるようになるための手段として格闘技に傾倒していた。リンネの強迫観念めいた強さへの執着が、ヴィヴィオ相手の二度の敗北できれいさっぱり意義を見失うのは理に適っている。
フーカは拳と言葉でリンネの本当の気持ちを掘り起こしていく。「心が弱いからベルトにつられてフラつく」「お前の求める強さは自分の弱さから逃げ出す言い訳じゃないのか」「お前はベルトを心の支えにしたいわけでさえない」。この行程のひとつひとつも威力満点で吐きそうになるほどキツいのだが、最後にリンネから飛び出してくるのは「許されたいけど許されちゃいけない」「私は世界で誰より私が嫌い」という凄まじい自罰と絶望。これにて私はぐちゃぐちゃ泣く。悲しくて泣く。どうして被害者のはずのリンネが殺人者めいた自責を背負っているんだ。

この瞬間、5話から歩みを止めなかったフーカの動機も変転する。
彼女はリンネを尊重していた。「今さら何もできることはない」「リンネの悩みはリンネのもの」とリンネの重ねた四年間と変わってしまった事実自体は肯定して、ただその結果として変質した「今この瞬間のリンネ」が死ぬほど気に食わないから殴りつけにいく。そういうスタンスでこの決着の場に臨んでいるはずだった。断じて「あいつを更正させたい」などというお節介な話ではなかった。
それはフーカ・レヴェントンという人物が幼い頃から抱え続けている、他者に対して一線を引く気性だ。孤児という出生に由来するものなのだろう。ジムの仲間全員に一貫して敬語で話すのは単に先輩という理由だけでなく、このあたりも遠因なのかもしれない。

しかし、リンネの苦しみが今もなお続いていることを知ったフーカは明確に「お節介」にシフトする。厳密には「お節介をできるようになる」「したいと願えるようになる」。突き放されても付き合おうとする。リンネの言葉を借りると、彼女はお説教もお節介も……他者の内面に踏み込む行為が、大の苦手であるはずなのに。

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リンネの一撃に気を失いかけ、倒れる間にフーカが思い起こすのは孤児院でリンネとお菓子を分けあった日。生まれて初めて笑えた日。
友達の痛みを半分背負いたい、一線を踏み越えたいとフーカが希えるようになった、その原初の光景にもリンネがいたという……。

「お前がわしを嫌いでも、ただの他人だと思っていたとしても、それでええ。わしには、お前は大切な幼なじみで、友達じゃ! だからじゃ。お前がそうやってひとりで泣いとるんが、涙で目を腐らせとるんが、わしはどうにも我慢がならん!!」

「つらいことや後悔があるなら、誰にも言えんことがあるなら、わしが半分背負ってやる。お前を苦しめるものがあるんなら、わしも一緒に戦ってやる。じゃけん、わしが大好きな幼なじみのことを、自分のことを、嫌いだなんて言わんでくれ」

ほとんど目立つことはないが、大きな悲劇を背負った少女・リンネ・ベルリネッタの物語の裏にはたしかにフーカ・レヴェントンの物語がある。この両面性はなるほど、かの系譜の始まりの物語に連なるものなのだろう。

なんか全体の話になってしまった。やっぱりこの話数は語りきれないなと今こうやって書いて思う。台詞全部書き起こしたほうがいい。なんなら観るのが一番早い。
リンネがこのどうしようもない自罰の檻から解放されるための拳撃に「きっと、神様だって倒せます」という激エモセンテンスを当てはめた(作中で一番好きな台詞です)第11話『撃ち抜く一撃<ストライク>』も至高中の至高、超傑作回だが、今回は最も精神を打ちのめしてきた10話を選びたいと思う。
春に放映された『ばくおん!!』も併せて、客観的に2016年は西村純二イヤーだったと言って相違ないだろう。
キングレコードの提供でお送りしました。


以下、他に候補に挙げていた話数も10コ。
ファンタシースターオンライン2 ジ アニメーション 第6話「禁じられたPSO2
あんハピ♪ 第7話「はなこのお見舞い」
キズナイーバー 第7話「七分の一の痛みのそのまた七倍の正体に触れる戦い」
甲鉄城のカバネリ 第3話「捧げる祈り」
ばくおん!! 第5話「つーりんぐ!!」
ふらいんぐうぃっち 第8話「常連の鳴き声」
Re:ゼロから始める異世界生活 第13話「自称騎士ナツキ・スバル」
ReLIFE 第10話「みんなのワガママ」
■装神少女まとい 第11話「いってきます」
■ユーリ!!! on ICE 第11話「超超がんばらんば!!グランプリファイナルSP」
ハイスクール・フリート 第10話「赤道祭でハッピー!」*4

聖戦ケルベロス 竜刻のファタリテ』や『田中くんはいつもけだるげ』、『クロムクロ』『ももくり』あたりは総体としてきわめて良かったので話数単位には挙げられなかった。
こうして挙げてみてわかったけど、やっぱり私は味が濃くてわかりやすい話が好みらしい。毒が仕込んであるとよりグッドである。

以上。今年のアニメも豊作でした。
年を跨げばすぐに次クール。霊剣山で待ってるぜ!

*1:選手時代の葵の技。相手の周りを周回することで動きを封じてタイムアップを狙う。これも「軌跡を交えない」技である。

*2:よくよく考えるとムチャなロジックを、有無を言わせぬ勢いと場の雰囲気で押し通して受け手の首を縦に振らせる力。造語。

*3:渡航が言ってた。

*4:当確レベルの話数なのだが作品そのものを十二分に楽しめていないので選外とした。私の受け手としてのレベルがはいふりに追いついていない。